To play Jazz on trombone



 トロンボーン・ジャズ。

 それは、それだけで哀しい。

 なぜか。
 
 例えば、Charlie Parker、Miles Davis、Bill Evans、Monk、Ornette Coleman、いずれも偉大なジャズの巨人達のことを考えてみよう。

 彼らはジャズというジャンルの中にもちろん居る。だが、彼らはジャズというジャンルに棲み着くだけではなく、その自分の居場所であるジャズというジャンル自体を拡大・発展させた立役者でもあるのだ。彼等の存在自体がいうなればジャズであり、それゆえに彼等は限りなく「ジャジー」な存在である。

 対して、例えばHank Mobleyはどうだろうか?

 Hank Mobleyさん、私は結構好きなんだけれども、その好悪は別として評価をするならばやはり「B級ジャズマン」という言葉が適当なように思える。口さがない言い方をすれば「ジャズというジャンルに『食わせてもらっている』」といわれても否定できない。ジャズ偉人達が為した、いわば「Jazzというジャンル自体を養っている」と考えていいくらいの貢献に比べると、それは対照的であるとさえ言えよう。

  Mobleyはジャズに質的な変化をもたらしたか?
 それはなかなか答えにくい。もちろんジャズという畑をより豊穣にした功績は認められていいとは思うけれども。

 無論彼らは良きジャズマンである。が、真のジャズ・スピリットを持ちえたのかどうか。果たして本当に「ジャジー」であったか、彼等の音楽性は?

 逆にPat Methenyのような人を考えてみるとよい。彼の音楽活動は多岐にわたり、最早「ジャズ」として括られるフィールドからは逸脱しかかっているように見える。そういう意味では「ジャズのひと」とはいえない。
 しかし、その音楽は紛れもなくジャジーであるといえよう。少なくともジャズが真のジャズスピリットを持っていた時代に、ジャズの中にみられた輝きは、間違いなくパットメセニーの中にはある。

 ジャズという言葉は様々なベクトルを含む。
 曰く、革新性、即興性。
 黒人の持つリズム。
 Dominant motionを中心とする変化の激しいコード進行。等・等。

 ジャズの本質とは何かという問いに単純に答えるのは非常に難しい。人によって異なる答えが返ってきていいと思う。だが、とりあえずCharlie ParkerとMiles Davisを中心に置いた、即興音楽としてのジャズ史観では、「innovative」と「improvisation」こそがジャズを語る上での最も優先されるべきキーワードではないかと思う。
 
 さて、トロンボーンの話に戻します。
 ジャズ・トロンボーン ナンバーワンの呼び声も高いJay Jay Johnsonを考えてみるとよい。

 彼、何か目新しい事やった?
 つまり、先ほどのジャズ史観に耐えられるだけの業績を残したかどうか、という意味でだ。

 そういう観点で見ると、どう贔屓目に見てもジャズ史での立場は先ほど挙げたHank Mobleyと比べてさえも重いとはいえない。彼が示したのは「トロンボーンでもジャズが出来る」という事だけだ。
そんなの、ジャジーか?

 そう、ジャズの歴史には何ら貢献していない楽器、それがトロンボーン。

「どうせ僕らは要らない楽器なんだ…」
しかし逃げちゃ駄目なのだ、シンジ君。