Jazz trombone? so, what?


 トロンボーンジャズというのは、一般的にはあまり省みられない。

 ジャズ界のなかでは(とりわけコンボ編成のジャズにおいては)廃坑寸前の炭坑街のようなものに思える。鉱脈は貧しく、苦労して掘り起こしても労力の割に金にならない。

 だけど、その炭坑街に住んで、そこで暮らさなければならない僕らトロンボニストは考える。一生懸命考える。

 ジャズトロンボーンの良さとは、なんなのか?
 どうして、わざわざトロンボーンを使ってジャズをしなければならないのだろうか?

 

 トロンボーンジャズの良さを説明するのはなかなか難しい。だが、結論から言ってしまえば、ジャズトロンボーン吹きならば、トロンボーンジャズが楽しいことは知っている。理屈なんかない。

 これは、セックスの経験がない人にセックスの気持ち良さを言葉で伝えられないのと同じだ。気持ちいいから、僕たちはジャズトロンボーンをやっている。

 時として、いささかの格好悪さを自覚しながら。

 そんなところも、セックスと似ている。

 

 楽器としての有利不利は、快楽とはまた別の話だ。

 マラソンという競技がありますね。
 マラソンは感動的であることは皆よく知っている。でもよく考えたら、なんであんな距離を走らなければいけないのだろう?
「車の方が速いのに」と言われたら、僕らはどう答えたらいいだろう?反論できない。

 確かにそうだ。マラソンは、速さを競う。
 なら、速いのは車だ。

 「わざわざ」足を使った移動手段を用いて最速を決めるというルールに論理的な意味は汲み取れないかもしれない。だけど、そういうことを言う人は数量的な事しか見えていない「野暮」だ。その過程の楽しさが見えていないのだ。

 ちょっと強引だけれども、トロンボーンジャズにも、それと似たような良さがあるのではないか。実際トロンボーンでジャズをやることは、楽しいのだ。

もちろん、スポーツとエンタテイメントの間には差がある。マラソンは人に見せるためではないが、ジャズは人を楽しませるためにあるものだという反論もあろう。だが、TV放映のマラソンにはもはやスポーツ要素とショウ的要素の区別はつかないだろう。
 

 トロンボーンをやっていて、音楽が楽しい人間ならばきっとジャズトロンボーンも楽しい。

 ただし、他の楽器でジャズを演奏するのに比べて、トロンボーンによるジャズが特別に楽しいか、と言われると、これは難しい問題ではある。

 もしあなたがジャズが好きで、何か新しい楽器を始めようかしらと思っているのならば、トロンボーンをやるのは敢えておすすめはしない。他の楽器にはない様々な困難さと技術的な問題もある。バップみたいなものは、トロンボーンにとってはちとつらい。時に、速い曲とかでついて行けず、着物の裾を歯がみして、泣き濡れて蟹とたわむれることがあるのだ。ピアノ、ギター、サックスなどによるジャズの楽しさとは、少々ずれている部分もあるのは否定しない。


ではトロンボーンならではの良さはなんだろう:


 トロンボーンジャズの醍醐味は、確かに他のフロント楽器とは少々違うところがある。普通の管楽器のソロとベースソロの間くらいのニュアンスかもしれない。(そういえば、音域もそんな感じか。)

 バップのソロは、トロンボーンではちょっと難しい。

 よく教科書的には「J.J.JohnsonはトロンボーンでBe-bopの方法論を確立した」といわれるが、僕はそうは思わない。
 J.J.は「トロンボーンでもBe-bopの連中と一緒にやっていくことが出来る」ことを証明はしたが、ソロはMain-Stream Jazzの手法に近い。もちろん、歌い方と、リズム、それから各所各所にBop-idiomは散見されるが、やはりパーカーやガレスピーとは違う。Bop-idiomにメロディックなフレージングを展開させて、というのは後のハードバップ時代にも一脈通じるわけで、むしろ時代の先取りなのかもしれないが、やはりJ.J.JohnsonをもってBe-Bopと言ってしまうのはちょっと無理があるのではないだろうかと、私などは思うのである。

 楽器的な制限というのは確かにあるわけで、いわゆるBopばりばりなサウンド、それからコルトレーン後のSheets of soundのような事はトロンボーンではやはり無理がある。

 もちろん、そういう「無理」が感動を呼ぶというのもある。Bopのフレーズとはそもそもがどの楽器でやったって難しいのだ。他の楽器と同様で、楽器の限界に迫る演奏というのはいつだって素晴らしいものだ。


 だが、楽器本来の良さを活かしたゆったりしたソロも、やはり人を感動させる。

 トロンボーンというのは楽器の構造上、音程の取り方などがメカニカルではないために、肉声に近い発声である。また、伸びのある音を最優先に作られた楽器なので、音色も独特の艶がある。この利点がある限り、トロンボーンが廃れることは無いように思う。

 むしろ最近思うのは、トロンボーンはジャズの真髄に肉薄出来なかった事が、逆にいい方にも作用したかもしれないということだ。人生万事塞翁が馬という言葉もある。

 1950年代から60年代、バップ・イディオムという時代の波にはトロンボーンは乗ることはできなかった(ま、当然その後のフュージョンブームにも乗ることはできなかった)。しかし逆にそれらに乗ることができなかったことは、これらの語法が陳腐化し、ずぶずぶと地盤沈下している現代では、むしろよかったことなのかもしれないとすら思う。

 結局のところ最後に残るのは人間の声なんだろうし、トロンボーンはそういう声に近いという有利さはいつの時代にもあるかもしれない。

 Urbie Greenが歌ものやボサノバで吹くいかにもトロンボーンらしいソロを聴くといつもそう思う。