ツーファイブ

—アドリブ技法について その2

—フロントマンにとっての泥縄式コード理解法(その2)


Index

 コードの展開と圧縮 (その1)
 ツーファイブ(その2)
 ツーファイブでの吹き方 (その3)
 ツーファイブの吹き方—マイナー、オルタード(その4)
 曲中でのツーファイブの吹き方(その5)

なぜジャズのコードは複雑なのか?

 前章では、

 ということを書きました。

 ではなぜ、ジャズではコードをちょこちょこと複雑にしがちなんでしょうか?

 

 コードが複雑であるというのは、演奏する観点からは、一見すると難しいような気がします。でも実はそうではありません。

こぶがある方がターンしやすいのです。

 例えばスキーのモーグル。こぶだらけの斜面を滑ります。こぶだらけの斜面は一見難しく思えますが、十分に慣れたスキーヤーなら、こぶをターンのきっかけに出来るので、がりがりでフラットな斜面よりはむしろターンをしやすい。曲がるのを目的とするのであれば、こぶがあった方が便利。

 ジャズも同様で、Bopっぽいフレーズを吹くためなら、コードは細かい方がむしろ吹きやすいんです。なぜなら、Bopでは「コードとコードの変わり目」をとっかかりにしてフレーズを仕掛けるから。つまりコードとコードの変わり目こそがフレージングに必要だからです。

 というわけで、「なぜジャズではコードがちょこまかと細かいのか」というと「細かい方が吹きやすいから」なんですね。

 時と場合によっては決め事が多い方がやりやすいこともあるのです。

 逆に、同じコードが何小節も続いて変化がない場合、Bopではフレーズを吹きにくいとさえいえます。


コーナリング


 基本的にはコードはすべての小節に割り当てられています。32小節あれば、32、すべての小節に何らかのコードが割り振られています。従って、コードがちょこまかと変化しても、コードの絶対数は、変わりません。コードがちょこまか変化して増えるのは、コードとコードの継ぎ目というか、変わり目です。

 バップの方法論で注目すべきは、コードとコードの変わり目です。この、コードの変わり目を意識するとアドリブが理解しやすい。

 こういう(Fmaj7→Bbmaj7)コード進行があったとします。

 フレーズを作るときに、二つのアプローチを考えてみます。

  1. 後のコード、Bbを着地点とするようなフレーズを、前の小節に展開してやる
  2. Fmaj7のコードの構成音を元にしてフレーズを作る

 普通にとられる方法論は(2)です。しかしBopでは、(1)の着眼点が重要になってきます。

 これは、あくまでイメージですが、コードとコードのつなぎめを「コーナリング」するという風な感じ。

 一つの曲を例えばレースのサーキットのようにイメージしてみましょう。同じコードが続いている部分はストレート、コードの変わる部分はコーナーと考えていいと思います。

 ドライビングテクニックの常識に、スローイン、ファストアウトというのがあります。これはコーナーを出てストレートに入る初速を速くするために、コーナーの手前で十分減速する方が速く曲がれる、ということなんですが、要するに出口のストレートをみすえた上でコーナーの曲がり方を決めるということです。コーナーは、次のストレートのためにある。

 バップの方法論というのは、突きつめていうとコーナリングの方法論と言ってもいいかもしれません。

 逆に言うと、コーナリングがフレーズのきっかけになるからこそ、コーナー=コードチェンジが必要なんです。これがジャズではコードチェンジが多い理由です。もっとはっきりというと、コーナリングをわざと増やすために、コードの変わり目を"増量"させたりさえしているのです。

 

 では、そのコーナリングというのが何かというと、これが、ジャズでよく言われる「ツー・ファイブ」とか、ドミナント・モーションというやつです。

 ドミナント・モーションに関しては多くを説明しませんが、Ⅴ7というコードは、その不安定感がどこかに解決させようという力を産み、Ⅰのコードに落ち着こうとするということです(棒読み)。

 この考え方を利用してやります。曲の中にあるコード"X"(十じゃないですよ、エックスですよ)があるとして、それを無理矢理先ほどのⅠと考えてやりますと、そこから逆算してⅤ7というコードが浮かびます。このⅤ7のコードをコードXの前に持ってこれるんじゃねえか、と考えるわけですね。オチから逆算してボケを考える。

 で、ツーファイブのツーことⅡm7ですが、これはドミナントモーションの延長です。Ⅱm7 - Ⅴ7 - Ⅰ のⅡm7はⅤ7に対しては5度の関係を有します。もちろん完全なドミナントほど強い力ではありませんが、Ⅱm7 - Ⅴ7 - Ⅰと自然に流れるわけですね。

 なおかつⅡm7もⅤ7もⅠの調のダイアトニックコードでもある。そういう意味でもⅡm7-Ⅴ7-Ⅰというのは非常にいろいろと都合がいいんです。多分、単純なⅤ7-Ⅰの流れよりもこのⅡm7を付けた方がいろいろなコード進行の処理としてもはるかに馴染みやすいんですね。誰の仕業か知りませんが、うまいこと考えたものだと僕などはいつも思います。

 で、このⅡm7 - Ⅴ7を、コードXの前に持ってくればいいんじゃねえの?ということで、ツーファイブという形になりました。

 

 ちなみに着地点 Xのコードにもメジャー、マイナーがあります。結論だけ示しますが、着地がメジャーの場合には、Ⅱm7 - Ⅴ7 - Ⅰを、マイナーの場合にはⅡm7-5 - Ⅴ7 - Ⅰmを使う、と、記憶しておいて下さい(もちろんバリエーション、抜け道はいくつもあります。)。

 いずれにせよ、この

Ⅱm7 - Ⅴ7 - Ⅰ   (X) 
Ⅱm7-5 - Ⅴ7 - Ⅰm (X)

 を、ある任意のコードXに対して、任意に使うことが出来るわけですね。



実例—ブルースの場合

 ブルースに於いて、実例を示しましょう。

 その1において、ブルースのコードの「大きな流れ」を示しました。

 こうして単純化した構造でもはっきり見て取れるコードの変わり目は、重大な変わり目であることは、今までの説明でおわかりかと思います。

 ドミナント部である9,10小節目は、ジャズでは習慣的にⅡm7 - Ⅴ7を置くことになっています。ここでは、Fを着地点とするⅡm7 - Ⅴ7ですからGm7-C7です。

 ドミナントの部位のコードを変え、コードの重大な変わり目を緑の線で表しました。4-5小節目、6-7小節目、8-9小節目、10-11小節目ですね。

 ところで、12-1小節目にも緑の線が入っています。これはなぜでしょう?
 ワンコーラス終わった後コード進行としては頭に戻るわけですが、そうなると、11小節目〜4小節目までトニックのFが6小節連続することになります。これはあんまりなので、ここで実際のコードは変わっていないけど頭のコードのきっかけを出そうとするわけで、これをTurnbackといいます。

 で、この緑の線の部分=コードの繋ぎ目をいじってみましょうか。

 まずは5小節目。4小節目はもともとFで、5小節目でSDのBbへ変化します。ここの変化をうまく使うため、5小節目のBbを着地点として、Ⅱm7 - Ⅴ7を作ってやるわけです。
 Cm7-F7-Bbとなり、これを4小節目に置いてやるわけ。むにゅっと。

 次に8小節目です。
Dominantへ行く直前ですが、ここを、強引に、9小節目のGm7をルートとするようなツーファイブを考えてやります。マイナーなので、Ⅱm7-5 - Ⅴ7 - Ⅰmとなりまして、これをむにゅっとあてはめてやる。いわば、ツーファイブを二階建てで重ねてやるわけですね。ちなみにこの二階建てはよく使う手法です。「3−6−2−5」(さんろくにいごと、そのまま読みます)と呼んだりもします。

そして、最後に12-1のTurnback。ここは、単純にFに帰ってくるII-Vということなので、Gm7-C7を置いてやります。先ほどの3-6-2-5を中途半端に適用して、F-D7-Gm7-C7という進行で書かれることが多いです。(実際に演奏する場合は相当のバリエーションがある)。

 さて、ここで、最初にもどって、原型である単純なコード進行と、ジャズのコード進行とを比較してみましょう。


劇的ビフォアーアフター

 コードの圧縮/展開のかなりの部分がツーファイブ一つで説明できる事がわかりますね。

 ま、もちろん現実にはツーファイブですべてのことが説明できるわけではありません。世の中そんなに甘くない。若干の補足をしますと、

 も付け加えて、完成ということになります。

 しかし、II-Vをあたかも「万能調味料」のように使うだけで、ここまでコードを複雑にすることが出来るし、逆にツーファイブで装飾されているコード進行をはぎ取ってやれば、原曲の単純な楽曲構造を推測することができるわけです。


コードの変化の緩衝材

 先ほどの車の喩えにもどしますと、直線→コーナー→直線というのがあったら、直線は直線、コーナーはコーナーと走るわけではありませんね。手前の直線の終わりでは、十分に減速して、コーナリングのラインをとります。クリッピングポイントについて、ベストのラインを取り、コーナーの出口が見えたらアクセルを開けます。これら一連の動作は、すべて、コーナーの出口を抜けた直線の為の予備動作と考えていいはずです。一連の動作は、すべてコーナーの出口、そしてその次に待っている直線のために逆算されて行われる。

 ツーファイブも、そんなもんだと思って下さい。ツー、ファイブ、ワン、すべてが独立したパーツと考えるのではなく、直線と直線の間のコーナーのようなものであると。すべては一連のものとして繋がっています。

 ツーファイブ・ワンというのは単独で存在しているのではなく、コードとコードの変わり目を「ならす」ためにあると思えばいい。

 コードとコードをそのまま並べたら鋭角的な「角」があらわれるわけですが、そういう鋭角に、丸みをつけるというか、そんなイメージ。


理論的な飛躍

 本来、「ドミナント」→「トニック」の解決感は、一つのトーナルの中での進行の話です。バップ技法の革新的な所は、このⅤ→Ⅰの流れを、いついかなる場合でも使用したことです。

 元々の曲の調とかそういうものはともかくとして、この瞬間だけはキーが変わっていると考える。

例えば、曲の中にGmaj7があったとする。そしたら、そこだけmajor Gと考えてみようよ。そうすると、その前にAm7-D7が来るよね。じゃあそれをGの前に埋め込んでやろうよ、とそういう考え方です。

 瞬間的にそのキーに転調していると考える。そうして、しれっとツーファイブをそのコードの前に置いてやる。つまり、コードの変化というのをミクロなレベルでの転調と考えて、一つの曲をミクロなレベルでの転調の繰り返しととらえるわけ。

 そういう風に考えると、ツー・ファイブをまるで万能調味料のように曲のあちこちに使うことができます。そしてバップはまさにこの様にして曲の複雑化を行っているというわけです。

 

 このことから考えてもわかるとおり、バップ・イディオムというのは、「曲が本来持っているトーナリティー」を離れる覚悟を決めたアプローチであると言っていいと思います。

 この様なアプローチは、曲のトーナリティーから離れて自由を手に入れた代わりに、一方では一つのトーナリティーが示す安定感や統一感(トータリティー)の庇護を失うことを意味します。バップ・イディオムは曲のストラクチャーを不安定化、抽象化する方向にも働く力でもあります。

 初期のバップが、いわゆるスタンダードな曲をひな形にして、それを複雑化する、という形でしか発展し得なかったのも、おそらくこういう形態のためではないかと思います。誤謬をおそれず言ってしまえば、バップは編曲技法に過ぎず、作曲技法ではない、ということです。

ダヴィンチの風景画
セザンヌ 静物画
レオナルド・ダ・ヴィンチ「Arnovalley」(上)と
セザンヌ「リンゴとオレンジ」(下)

 しかし、こうしたコンセプトが生まれた背景には20世紀の時代精神というものが色濃く反映されているように思います。絵画の世界などにも同様の変化が窺えるからです。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチは単一の消失点を用いて極めて整合性の高い遠近法によって描画しました。しかし、たとえばセザンヌの技法では単一の遠近法にはもはや縛られません。多視点から描かれた物体が一つの絵画の中で渾然一体としている。視点の相対化が起こっている。アプローチの点で多少の違いもありますが、キュービズムなどはさらに先鋭的にそういうコンセプトを推し進めたものです。

 右の絵ですが、上はダヴィンチの"Arnovalley"という風景素描です。フリーハンドでさらさらっと描いているにもかかわらず、左上の方に消失点がある、かなり厳密な遠近法で描かれています。

 一方、下はセザンヌの有名な静物画です。有名な話ですが、この絵で積み上げられたオレンジは、この形の通りに置いた場合、安定しません。布のしわも、おかしいです。あり得ない形なんですね。そういう点で、この絵は写真の様なリアリティとはかけ離れていますが、整合性よりも、回り込んで対象を視た時、触ってみた時のリアリティを出すためにあえていろいろな視点からの見え方を混ぜて描いています。一点透視図法の観点からは歪んでいるように見えるこの技法は、だからこそ物体の「リアリティ」に迫っているということです。

 バップの方法論の根底には、トーナリティーの相対化があります。それは、絵画技法における消失点の相対化と、本質的にはひどく似かよっているように思います。

 

 さて、我々はぶっちゃけ単音楽器ですから、こうしてコードの説明をしたところで、正直なところ、すぐには役に立ちません。

 では、こうしたコードを踏まえてどうフレージングをするか?

 次章では具体的にそれを示していこうと思います。

 ※
 ちなみに、上の説明で、意図的に言及を避けているところがあります。

 トニックのF7です。ブルースではトニックにI7を使うわけですが、実はこれを説明することは大変難しいんです。

 古典的西洋楽曲論ではこの様な機能和声は誤りでした。現代の和声学では「あり」ということになっています。「あり」って言うことは簡単ではありますが、個人的に満足できるような理論的解釈には出会っていません。

 この7thこそが「黒っぽさ」の要諦であり、古典的西洋音楽理論に突きつけた匕首であり、近代ポピュラー音楽の発展が始まったきっかけでもあるのは確か。
 多くのジャズの初学者が初めに手をつけるブルーズにおいて、理論的に詰めきれていないという現状は、ある種皮肉であるとも言えますし、理論を絶対視せずに済むという点では健全であるとさえ言えます。