Steeplechaseに愛を



SteepleChaseと、CrissCrossが、好きだ。

 共にヨーロッパに本拠を置くこれらのレコード会社の、では特徴は?というと、難しいが。

 曲も普通、音質も普通 (ピアノの音とか、いかにもヨーロッパ好みの静謐とした感はあるが。)
メンバーもまた、これまた普通。

ん?、「普通のジャズ」、ってなんだ?


ジャズの黄金期とその没落


 1950年代、アメリカに関するすべてのものがきらきら輝いていた時代である。

 時流の波にのりジャズも黄金期を迎えた。50年代初頭、ジャズは最も革新的で、Counter-Cultureで、戦後の新時代を象徴していた「現代の」音楽であった。

 しかし60年代、ジャズは大きく転換期を迎えることになる。余りにも多様化し、肥大化したジャズというジャンルは、まだまだ元気であったが、何かが変わってしまった。見た目には変わらないが、なにかが、変わってしまったのだ。摘んでしまった花のように、近い将来訪れるであろう荒廃を背後に匂わせる美しさになってしまったのだ。

 急速に時代感覚は、変わる。

 最早ジャンル全体を象徴するテーゼを失い、それに伴い「第一線の音楽」という役割から退いていく。

 Improvisationを最も追求しているものはfree-界へ旅立っていった。

 公民権運動が盛んになるにつれて、R&Bがジャンルとして形をなし、黒人らしさという面では、むしろジャズは保守的に見えた。当たり前だ。黒人rootと西洋器楽理論との融合にて発展してきたのだから。そしてRock'n Roll は黒人的なものに少し目を向けはじめた白人層に背を向けさせるのには充分だった。

 ジャズという巨像はホルマリン漬けにされ、文字通り虚像となった。

今では
「ジャズ=飲み屋の音楽=おしゃれ=お酒が飲みたくなるわねぇ」
といった位置づけだ。

 その様な音楽がいかに「おしゃれ」であろうとも、例えば、香水以上の価値があるだろうか?
夜の引き立て役、といった意味で、何の違いがあるだろうか?

「最近のジャズ・ミュージシャンはみんな礼儀正しくなったんだ。僕が学生の頃はこんなじゃなかった。ジャズ・ミュージシャンといえば、みんなクスリをやっていて、半分くらいが性格破綻者だった。でもときどきひっくり返るくらい凄い演奏が聴けた。」
「でも今は違う。今では僕は経営者だからね。僕がやっているのは資本を投下して回収することだよ。僕は芸術家でもないし、何かを作り出しているわけでもない。そして僕はここでべつに芸術を支援しているわけではないんだ。好むと好まざるとに関わらず、この場所ではそういうものは求められてはいないんだ。経営する方にとっては礼儀正しくてこぎれいな連中の方がずっと扱いやすい。それもそれでまた仕方ないだろう。世界中がチャーリー・パーカーで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ。」
(村上春樹『国境の南、太陽の西』より)

 話を戻す。もう一度言う。スティープルチェイスが好きだ。

 Hard-Bop、それはジャズが格好よいものだった最後の時代。

 Duke Jordan、Dexter Gordon、当代に乗り遅れた御大を優しく包み込んで良き時代の雰囲気を結晶化させたのがSteeplechaseのレコードだ。

 スティープルチェイスに我々は共感を覚える。それはおそらく、ジャズの黄金時代に対する憧憬、そしてその喪失感を埋め合わせたいという感覚を共有するからに違いない。

 ヨーロッパのジャズ、日本のジャズ、どちらも波に乗り遅れたがゆえに「黄金時代」に拘る。そこのところが、日本人ジャズファンの琴線に触れるのだろう。

 黄金時代の良さを宝箱にしまって置くような、そんな作り方をしているからだろうか。

「ジャズマンのノムラ再生工場」ことSTEEPLE CHASEでの酔いどれ系の晩年チェット、僕も好きです。
私の学生時代の友人タカハシ君の名言。


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