電子カルテと手書き文字


医師の風景学

文具の話



 最近の私は、筆記用具としてDeltaを使っている。ようやくクセがとれて書きやすくなって来た。いままで、このような文具道楽コーナーを書いているので恐縮だが、本当はカルテを万年筆で書くことは推奨できない。万年筆が好き(その2)でも書いたがその理由は耐水性と複写の問題なのである。

 例えば、デルタはモンブランのカートリッジインクを使っているが、このインクはつるつるのケント紙のカルテでは全然染み込まない。書いた後すぐページを閉じてしまうと文字がつぶれてしまうのだ。実用という観点ではこれほど無意味なことはあるまい。

 昔の書斎道具には、黒板消しのような、「吸い取り紙」というものがあって、これで、紙の上に盛られていたインクを吸い取って、文字がつぶれないようにしていた。現在の我々にはそのような道具がないので、書いてはティッシュで盛り上がったインクを染みこませている。

 、という風にカルテをバイト先で書いているのだが、こういう方法そのものが時代遅れのものになりそうだ。いうまでもない、電子カルテのことだ。

 電子カルテシステム、現在は大学病院でも標準的に使われているが、使ってみた経験からは、決して快適とはいえない代物であるのは確かだ。しかし、今後使用する病院が増加するに連れてその欠点は随時解決されるのではないかと思うし、このペースで行けば厚生労働省の勧奨通り、2010年頃には多くの病院が標準的に電子カルテを導入しているだろうと思う。こういう電子化は、もはや避けられない宿命ではある。

 そういう将来的な話しはともかく、電子カルテを使っていると、本当にボールペンのインクは(勿論万年筆のインクも)へらない。

 ところで、医者の書くカルテこそ悪筆の代名詞ではないかと思う。医者がぐねぐねと書き散らす字などカルテ開示に耐えられたものではない。時には同僚ですら読めないこともあるのだから。どんなに医学的なレベルでしっかりしていても、あの汚いカルテ字が裁判で白日のもとに晒された瞬間、医師の言っていること、まともに受け取られなくなるおそれは十分にある。そういう意味では読みやすさという面でも、電子カルテ、大いに賛成だ。

 そういうわけで、今後研修医となる医学生の諸君は、せいぜいタイピングは練習しておきたまえ。(最近はレポートなどは完全にワープロで作成されているし、PCの使用は学生でも当然となりつつある。全国的にもPCの使えない知的労働者はすでに絶滅しつつあるといってもいいだろう。)。しかしもう一つアドバイス。

 君達にまだ十分に時間があるならば是非ペン習字を練習しておきなさい。

 え?もう電子化で手書き文字の意義はない?まぁ、確かにそうだし、字が汚い先輩は沢山いるから大丈夫なんだけど。

 僕が医者をやっていて、「字がきれいだったらなぁ。」と嘆息することがひとつだけある。

 それは、死亡診断書。

 保険の書類やカルテ、診断書など他の書類で自分の字を恥じる気にはなれないのだが、死亡診断書だけは綺麗な字が書けないと、なんだか悪い気がするのである。

 考えてもみたまえ。一人の人間の人生の最後を締めくくる書類である。それが小学生男子が書いたようなへったくそ字では、なんだか悲しさも1.5倍増しだ。

 死亡診断書は医者の仕事ではあるが、しかし医学ではない。学問ではないのだ。

 だからこそ、字のキレイさとかそういった儀礼的なことが重要になる。

 え?つくってる?

 いやいや僕は真面目な人間なんですよ。


死を看取ること

 病院とは命を救う場であるのは間違いないのだが、命の灯が消える場もまた病院なのである。あまりあからさまではないが、つまり死を看取るというのも病院のもつもう一つの役割といってよい。

 あからさまにしにくいのは、「死を看る」という行為は少なくとも医療には含まれるかもしれないが、医学ではないからである。その証拠に国家試験には出ないし、学生の間にこれをあまり習うことはない。しかし現実にすべての人は死んでゆき、学生の時に習わなかった、「死」というものに直面せざるを得ないのだ。注意すべきは、死に関する仕事の多くは儀礼的であり、一連の儀礼的手順というものが存在しているということである。我々はそれをまず知らなくてはならない。

 本当をいうと、こうした儀式めいた部分を医療者が担当することはあまり適当ではないと僕は思っている。宗教がしっかりしている文化では、こうした部分は宗教者が行う。現在の日本にはそれに足る文化がないので、仕方なく僕らがその役を兼任している。

 死亡診断書は、あくまで公文書という体裁を取り、多少は医学の要素も残ってはいるが、そうした一連の儀式手順で作成され確認され、手渡されるもので、儀礼的要素が強い。医学的な精確さなどとは別の要素が、確かにあるのだ。紙切れ一枚ではあるが、これには特別なオーラがあるのである。

 死亡診断書であるが、私は自分の字で満足したことがない。小中学生の男子が書くようなバランスの崩れた汚い字はなんだかしっくりこない。女医さんの書く、まるで女学生のノートのような字も、確かにきれいだが違和感があるような気がする。

 ちょっと年配の方が書くくずし字のような字が一番ぴったりくるように思う。もしくは、まるで「莫山先生」の揮毫のような、珍妙だがどことなく格調のありそうな達筆。(もっとも、こういした字はカルテに記載するときは読みにくいことこの上ないのであるが。)

 一言で言うと、墓石に書くような字が最も適している。

 いっそのこと、死亡診断書に限っては縦書きにしてくれた方がそういう字を書きやすいのにと思う。

 (その場合、英語の病名が問題になるが、基本的には死亡診断書に英語の病名を書くことは少ない。終末像としてのDICを死因の一連のシークエンスの中に含めようかどうかいつも悩む。播種性血管内凝固症候群と日本語で書いても家族に不審がられるのがオチであり、断念することが多い。)

 とにかく、すべての死亡診断書が手書きではなくなるのは随分先ではないかと思う。せいぜい字の練習をしておきたいと思う。



(Jul, 2006 初稿)