Bibliophilic..

本が捨てられない話


—本について



 家の本棚は完全に飽和状態でこれは早急に何とかしなければいけない。

 と、3年前くらいからずっと言っている。まず苦笑。

 振り返ってみると、高校を卒業し大学に上がる時、大学を卒業したとき、勤務地が変わったときなど、住処を替えるたびに蔵書の整理をしているのだが、次の引っ越しをする時には本棚は溢れかえっているという寸法だ。それも当たり前の話である。引っ越し前、本が溢れる状態(本棚の飽和率はおよそ120%だ)で本を整理しなければならないのだが、なんとか本棚に収まる量まで本を手放すわけである。つまり新しいところに引っ越した時点で本棚の飽和率はすでに100%である。これでは本は溢れるしかない。

 それもこれも薄利多買、濫読のためである。薄利は余計だが。


 一冊本を買えばば一冊本を手放す。本棚を溢れさせないためにはこれしかない。しかし古来より、最も捨てにくきもの、本の類也。


 手放す本を本棚から選んでゆく時に、手に取って内容に全く覚えがない本は捨てにくい。そういう本は大抵面白くない本なのであるが実は面白い本で読んでないのかも…と思うと捨てられない。内容を覚えている本は、また読み返すことがあるかも…と思ってこれまた捨てられない。

 買った本のほとんどは二回以上読んでいるが、あんまり読んでない本は内容を覚えていないから捨てられない。高校の頃から持っていて10回以上読んだような本もあるが、そういう本は内容はばっちり覚えているのだけれど心情的に捨てにくい。

 単なる整頓ならともかく、整理をするならまず吟味が必要だ。
 あれ?この本買ったっけ?読んだような、読んでないような…
 どんな内容だったかな…
 …
 (二時間後)
 …

 読んでた。

 (もし読んでなくても今読んだ。)

 粛々と整理が終わったためしがない。なんだかんだ気がつくと読書に耽っちゃう。整理が必要なのは本棚以前にてめぇの頭の中なのである。

 恋人が話をしたりじゃれあったりからどこからともなく性交に突入するのと同じだ。
 蔵書の整理は読書の前戯だ。
 違いますか?そうですか。
 

 そして本の捨て方には麻雀の役作りに似た所がある。

 たとえば持っているSF本を整理しようと思う。アシモフが5冊、P.K.ディックが7冊、クラークが5冊、R.A.ラファティが3冊、J.ティプトリージュニアが2冊、その他の作家の本が1冊ずつ10あると仮定しよう。

暗刻

やっぱり冊数が多い作家は好きな作家でそれは多く残したいと思う。というのでそういう好きな作家の本を残して他の作家のは「捨て牌」しようと思う。つまり「暗刻」中心で役を作っていくわけである。ある程度本棚に整合性が生まれ秩序が感じられるのであるが、一冊だけ好きな本とかある場合困るわけである。

国士無双

 いやいや、ル=グウィンの『闇の左手』は捨てられないぞ。『ソラリス』も、いやいや『世界の中心で愛を叫んだけもの』、捨てるには惜しいな… 好きな作家でも何でも一冊ずつベストを残すというやり方もある。(国士無双型)

 これは、本棚全体としてみるとまったく混沌とした状態になってしまうが、自分の好きな本だけ選べるというメリットがある。しかし、何冊か持っている作家の場合、何が自分にとってベストなのかを選ぶのは非常に難しい。

 いやいや…何がベストかというのは読み返してみないと…
 はっ! また読み耽ってしまった……

 万事この調子。

ドラ

 ウイリアム・ギブソンのニューロマンサーシリーズ。
 うーん!SF史的にははずせないし一冊…!SF好きを自認するならやはり本棚に入れとかないと…!
 でも実際はあんまり好きではないのだが。でも、勿体ないよなぁ。
 ああ、この本近くにはなかなか売ってなくてインターネットで注文したんだよなぁ、でもBook-offに売ったら20円くらいだしなー。
 あっ!この本は全然10年くらい読んでないけど、なんか本棚に置いてあったらモテそうな気がする…!バイロンの詩集…これもか。プラトンの『国家』など、記憶する限り15年も僕の本棚に鎮座しているが中学の時に読んだ以来一度も開いたことはないのではないか。

 要するに、その本が好きなのではなく、その本を持っている俺が好き、だと。

 あっこの本、A氏に借りたままだ、いっけなーい。返せなんて言われないだろうけど、借りた本を捨てるのはさすがに出来ない。

 といろいろな理由で本は捨てられない。
 

 本棚としての見栄えを気にするというのはまことにばかげているとは思うが、本好きの方にはわかっていただけると思う。

(2003.8日記初稿 9月改稿)