Bibliophilic..

本棚の整理と最適停止問題


—本について


 以前にも本が捨てられないと書いたが、相変わらず本が捨てられなくて困っている。

 自宅にいる時間が長いと目につく分、余計にそう思うのかもしれない。本棚はやはり常に飽和状態。おまけに古雑誌も沢山。

 それなのに本はコンスタントに買っているし、雑誌なんて床に山と積まれている。実はおうちのインテリアの一環としてつい先日マガジンラックなどを買ってはみたのですが、基本的にマガジンラックって、二,三冊ほどの雑誌を美しく見せるものなのですよ。十何冊もある本をどかどかっとマガジンラックに積み上げたところで、それは床に積んである状態と大して変わらないのだな、ということがよくわかりました。

 かといって本棚には、雑誌を入れるスペースなんて全然ないし。破綻を生じずに無理なく片づけられるレベルを完全に越えています。なにしろ今は、文庫本は手前と奥に二段構えで並べていますし、本と棚の間にできる1-2cmのスペースも莫迦にならないので、一部横積みですし、本棚の天辺と天井との間のスペースにも本がぎっしり。乗車率200%といった趣でしょうか。

 週末はちょっと元気が出てきたので、これらを処分しようと試みたのですが、やはりうまく行かない。思い切って火でも付けて燃やしてしまえばあっさりと捨てられるのかもしれませんが、それもできない。

  たとえば僕の本棚、おそらく1000冊程度のキャパシティがあると思うんですが、高校の時から「勝ち抜き」に耐え抜いてきた、これはなかなか捨てられないぞ、という本が100-200冊くらいあります。折に触れて見直したり、資料として使ったり、自分の中でも特別な地位を占めているような本です。逆に100冊くらいは、最近購入したもののあまり自分の琴線に触れなかった、自分にとっての凡書です。いつでも処分できる本ですね。で、残りの600-700冊は、その中間なのでしょう。緩やかなグラデーションを描きながらこの両者の価値の間に属している本達ですね。

 また、文章を書くようになってから本がますます捨てられなくなったという事実もあります。読まないだろうけど、資料的な意味合いで残したいという本があるわけですよね。
 
 しかし、箱舟はすでに一杯。

 なんとかリストラをしなければいけないわけですけれど。

 生まれてから今まで読んできた本のなかで、やはり「殿堂入り」するような本というのはそんなに沢山あるものではありません。10冊読んで1冊程度でしょうか。

 で、今後年間100冊本を読むとしましょうか。(もっと読みたいけれど、現実的にはこの程度がせいぜいじゃないかと思います)。読んだ本の中でどれだけのものが、そういう「殿堂入り」を果たすのでしょうか。一応私としても自分が意識的に残してきた本に関しては愛着もありますし、自負心もありますし、身を切るような選択はあえてしたくありませんし、いい本を捨ててしまったあとで、その代わりに本棚に入る本が凡書であるというのは悲しいことですし。

 以前にも書きましたが、こうした自分の精神活動のゲシュタルト、その鏡像としての本棚という存在は、本読みにとって、無碍にはできないものだと思うのですよ。

 でもね、こうした自分にとって関わりが深い本というものを無条件に尊重している限り、常に1000冊のうちのどうでもいい100冊分しか本は動かせないんですよ。そうこうしているうちに新たに読んだ本の中から殿堂入りする本が増えてきたら、いよいよ難しくなってしまう。ベッドが1000ある病院で、過半数以上が長期入院で、残りを短期の入院で回そうとしたって、病棟はうまく稼働しません。絶対に動かない100冊というのは、かなり厄介な存在です、実は。
 

 うまく言い表せませんが、本の取捨選択の仕方は、今まで自分が読んできた本の量と、残された人生、残された時間という兼ね合いによって、その戦略は違ってきて然るべきなのかもしれないと思ったりもします。

 たとえば、僕のこの独身生活があと何年続くか、というのも大きな要因と思います。結婚したら、本棚は増えるのでしょうか?それとも、子供の本などが増えるので、むしろお父さんの本を置いておくスペースはなくなってしまうのでしょうか?(※)こうした独身生活があと10年続くのであれば、それなりに本棚にスペースを空けるべきなのかもしれないと思ったりもしますし、実はせいぜい2,3年のことであれば、だましだまし本棚をやりくりしておいた方がいいのかもしれませんし。

 実際に家族を持つというだけではなく、精神的な成熟度も関係するように思います。正直、仕事を持って研究もしていてという現在の生活は、中学生や高校生のような「青春」の時期とは違います。読書に絶対的な浸淫性があった、人生のあの一時期が僕に再び訪れるとはちょっと考えられない。新しい本を読んでも、非常に感銘を受ける頻度というのは段々下がっているような気がしますし。そういう意味では今手元に残っている本達は、僕が思っている以上に貴重なのかもしれない。ある種の青春の証明のようなものなのかもしれないわけだから。

 やれやれ、こうした事を考えると、ちっとも本は捨てられません。

 そうはいっても、いわゆる愛書家のような、本に埋もれた生活をしたいわけではないのです。むしろ僕はモダンリビング派ですから。映画『ファイト・クラブ』では、ヤンエグ主人公が、自分のことを「ついつい北欧家具を買ってしまう」と自嘲的に評していたわけですが、「我が事か?」とズキンと来たような人間ですから。

(※)  古典的な「父親」の属性は、こうした部分でエゴを発揮しないことが当然の美徳とされてきたわけですが。そういう意味では僕にはまだまだ自分の家族を持つ覚悟が欠けているような気がします。  現在のお父さん像は必ずしもそうではなくて、チャイルディッシュなお父さん方も随分増えてきたようですが。
 
 数学に最適停止問題というものがあります。

 簡単なモデルとしては「お見合い問題」というものがあります。

・全部で20人の相手とお見合いできる。
・断った相手とは二度と会えない。
・会う順番はランダム。
・二股は掛けられない。

 こうした条件の上で、どういう戦略で結婚を決めると、望ましい(より順位が上の)相手と結婚できるだろうか?というものですね。

 本購入、本棚収納問題も、こうしたモデルの応用なのかもしれない、と思ったりもしました。

(2004.Apr日記初稿)