—夢 その2



 大学に戻ってしばらくして見た夢である。


 いきさつはわからないが、僕は無音の深海を泳いでいる。
 ふわふわと、ゆらゆらと。
 そして僕によりそうように一匹の海棲ほ乳類がゆったりと泳いでいる。
 イルカ?いや。
 クジラ?いや。

 ジュゴンだったか、マナティだったか。どちらかというとぬるりとした鈍重な輪郭をもち、かつて船乗りに人魚と間違われたりしていたが、今は絶滅に瀕している眷属。


 そのジュゴンは私の彼女なのである。
 私の彼女がジュゴンになったわけではない。ジュゴンが私の彼女なのである。

 少なくとも夢の中ではそうらしい。


 二人で海の中をゆらゆらと泳ぐ。つかず離れずよりそって光さす海を浮遊する。
 音は無く、静謐な空間。
 水面も、海底も見えない、まさに海の真ん中。

 しかし、しだいに幸福感が薄れてゆき、「これ以上ここに居てはいけない」という圧迫感が私を支配してゆく。それは空気が無くなるからだろうか。

 ジュゴンの方もそれが気になるようである。私を海面の方に連れていこうとしきりに気を惹くのだが、私はそのまま泳ぐのをやめない。彼女(?)と泳ぐのが楽しくて仕様がないからだ。

 突然、ジュゴンが私の手を噛む。

 びっくりして私は海面の方へ上がる。
 が、ジュゴンはわざとごく弱く噛んだのだ。それは私を海面へ向かわせるためなのだ。ということを理解し、喜びの感情が私の中に広がり満たされる。

 そこで、目が覚めた。



 なんなんだろうか。

 寝覚めの倦怠感の中、気持ちだけは高揚感のような軽い興奮状態が残っている。精神状態を立て直すのに少し苦労した。


 あとで、よく考えてみたのだが、昨日の夢は自分でもさっぱり解釈できない。
 だが、ひとつだけ自分でも思い当たることがある。

 あの、手を噛む癖は、島根で飼っていた猫、キヨイチの癖だった。
 

 島根では病院付の一軒家の官舎に住んでいたので、猫を飼っていた。
 研修医の身分で猫を飼えるなんて、そうはないし、出来る時にやっておこうと思ったからだ。

 岡山で大学に戻るというので、猫は実家に預けることにした。実家は現在父と母しかいない。すでに犬が一匹(ミニチュアダックスフント)、猫が一匹居たが、快く引き受けてくれるという。
 車に乗せて運び、実家に預けた。

 実家に戻って数日経ったある日、キヨイチがいなくなったと両親が青ざめて電話をしてきた。網戸を破って逃げ出したというのだ。父母もずいぶんさがしたようだが、結局見つからず。行方も遙として知れぬ。近隣で轢かれた情報もなかった。

 というわけで彼は今私の実家にいない。
 キヨイチは僕のいる世界から姿を消した。
 

 村上春樹の小説には猫がいなくなる話がよく出てくる。村上的小説の枠組みでは猫は主人公を取り巻く世界の変化を察知して、その世界が自分の住むのにそぐわないと察知すると避けるように姿を消す。

 私の場合もそうなのか。

 すくなくとも私の側から見ると、世界が一変したことは確かだ。

 島根にいたときはただ、働きさえすればよかった。内燃機関の一部品のように自分の仕事をしていればよかった。大学ではそうはいかない。一生懸命働くだけでは、便利に使われて終わり。してはいけないこと、しなければいけないことを自分で選ばなければならない。人間関係にも細心の注意を必要とする。


  ダンス・ダンス・ダンス。

 今の僕はダンスを踊らなければならない。そう、音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けなければならない。みんなが感心するくらいにとびっきりに上手く。

 確かに今の暮らしは、キヨイチと僕とが一緒にいるべき世界ではない。

 では、キヨイチはどんな世界に行ったのか。
僕の置き去りにした安逸な世界に、置き去りにした別の僕と一緒にいるのか、それとも別の世界の扉を開けてしまったのか。

 夢の中で僕が感じた手の感触は、確かにキヨイチのそれだった。どこにいるのかわからないが、キヨイチも私のことを思いだしているのかも知れぬ。


(初稿 2002.10.17 18)