皇室と敬語の問題:

これは2001.11.30の日記からであるが皇太子妃雅子様 愛子様御出産の頃に書いた文章を加筆修正したものです。

 宮内庁の記者会見で一つ気になったことがあった。「ご陣痛は未だ」との文言だ。「ご」をつければいいってもんではない、と思う。

 「ご懐妊」はまだいい。「妊娠」よりも丁寧な「懐妊」という言葉にさらに「御」を付いているのだから。それに比べて「陣痛」ってなんか直截的な感じがする。たとえば、「御」をつけさえすれば「御糞便」とか「ご尿意」と言っていいのか、という話だ。敬意をもっているのなら、陣痛とか、そういう話はしなければいいのではないか。

 丁寧語がしっくりしない言葉というのは、逆に言うと敬意を持った人に対して話題にするべきではない語なのではと思う。

 まぁ、実際宮内庁の内部でどのようなコード化がなされているかというのはわからないが『開かれた皇室』という大前提のもとに、マスコミの要請にこたえた結果なのであろうと思うが。

 上辺では敬意の「ふり」をして、内実、「見せ物化」されている構図というのが少し垣間見えたような気がする。やむごとなきお方は御簾の向こうで顔も見えない時代、という時代に比べて当世のなんと露悪主義的なことか。


 もっとも、敬語の問題は難しい。

 本来、皇室に対する敬語はそれ専用のものが用意されてしかるべきなのである。だが、そういうコンセンサスは完全に欠如している。

 上代語、即ち平安時代くらいまでの古語では、天皇に対する敬語は最上級のものとして別個に存在し、用いられる言葉、文法に関しても「天皇専用」であった。日本語は主語を省く傾向があるので、(→悼むという言葉参照)逆に言うと、主語が省かれていても「みかど」のことだとわかるためなのであろう。従って古文では天皇に対する敬語は非常にわかりやすい。尤も、上代では政治や文学などすべては御所を中心になされていたわけで、文章に天皇家が書かれる比率というのは後代に比べて遥かに多いのも大きな理由だろうが。

 明治時代になると坪内逍遥らがはじめた「言文一致運動」によって文語から口語に移行するわけだが、その際皇室関係の敬語について考察が行われたかどうかはわからない。また、天皇陛下個人以外の皇室報道が存分になされていたとは言えない。天皇は崇拝する対象であり、言及するものではないからだ。昭和の軍国時代には確かに天皇は尊敬されていたが、漢熟語で仰々しい言葉を十重二十重に重ね塗りしたいかにもこの時代にふさわしい野暮ったい言葉遣いである。そして終戦以降、軍国主義の反省という名目の下に、戦前の仰々しい敬語自体も忘れられてしまった。


 現在はどうか。新聞社が作った敬語コードというのはこうだ。
共同通信社発行の『記事ハンドブック』「皇室用語の扱い方」
 「皇室に対する敬語は過剰にならないようにし、特に二重敬語を使わないようにする。敬語は1センテンスに1か所を原則とする」としている。次のような用語は→のように書けと例示がある。
●ご出席される→出席される
●〇〇県をご訪問中の天皇陛下は〇日、〇〇館をご視察になり、A氏の作品をご覧になった→〇〇県を訪問中の天皇陛下は〇日、〇〇館を視察、A氏の作品をご覧になった(文末に1か所だけ)
。  また、「注」として「動詞の敬語法は次の型がある」として
(1)れる られる (例/書かれる 出席される 贈られる)
(2)お〇〇になる (例/お書きになる お着きになる)
(3)ご〇〇になる (例/ご出席になる ご覧になる)
「(2)(3)の型はできるだけ使わない」としている点に注目したい。要点は「敬語は使用しても文末1か所だけと簡素化すること」である。

 やれやれ、誰が考え出したのかわからないが、結局このやり方なら記者は言葉遣いを勉強しなくて済む。だが、一国を代表する皇室なんだから、あえて皇室独自の敬語コードくらい作ってもよいのではないか。


 また、皇室敬語に限らず、敬語に対する我々の共通認識のレベルが50年前と比べ明らかに低下しているのも問題である。

 街行く兄ちゃん姉ちゃんが敬語を話せないというのは今に始まった話ではない。落語などを聞く限り、都市下層民である長屋の住人は今の兄ちゃん姉ちゃんと同じく敬語を話せない。問題は、インテリゲンチャの間での敬語能力が明らかに低下していることだ。

 例えば、私。一応の国語教育を受けて、日常会話における尊敬語・謙譲語の使い分け程度なら淀みなく出来る。同年代の中では敬語をちゃんと使える方だと思うが、「フォーマルな敬語」がきちんと使えるか、というとちょっと自身がない。敬語の世界は奥深い。

 そこで、例題。

 偉い人と一緒に会食をしていて、その偉い人の手元に醤油ビンがあって、取ってもらいたいとき、どういう風に言えばよいか、知っていますか?


 答え:
例えば「そこの醤油をとっていただけますでしょうか?」というのは一見正解に見えて、実は駄目。目上の人にそういう雑事のお願いをする事自体がまず間違っているそうだ。だから、いくら敬語を使ってもそれは言っては駄目。

 もし、どうしてもという場合は疑問形を使う。「それはお醤油ですか?」と。

 相手が察してこちらに醤油のビンをよこしてくれたらOK。もし、「そうですよ」とか、こちらの意を汲んでくれない場合は、醤油を使うのを諦めるしかない。

 これが、真の敬語精神なのである。

 我々は語尾レベル、単語レベルでの敬語に関しては何とか対応出来ている。しかし、センテンスレベル、文章構造レベルでの敬語に関してはすでに「失われた知識」になりかかっている。国語学者なら知っているかもしれないが、少なくとも官僚を目指す程度のインテリの一般常識ではなくなっている。

 「皇室向けの敬語」という、敬語の中でも「超応用問題」に対して我々や官僚が判断停止をきめこみたくなるのも、無理はない。
 

 と、いうわけで、宮内庁さん、なんとかなりませんか。

 平安時代のように、我々一人一人がナチュラルに皇室に対するOptimalな敬語を使える状態になる必要はないと思う。が、いくらなんでも現行はひどすぎる。誰かがスタンダードを作る必要があると思う。

 もし右翼がそういった敬語ガイドラインを提唱しても、政治的な雑音が混入し全国民の賛同が得られない。やはり宮内庁がぴりっとした敬語を産み出してくれないと。今のような平文でよいのか。

 私は右翼でもないし、反動でもない。だが、以前→Like a Robotという一文で書いたように、皇室の方々は根源的存在レベルにおいて選択の自由がなく、自己の在りようを限定させられている。素晴らしい教養人であるにも関わらず、誰にでも出来るようなマスコットの役を強要させられているのだ。

 そういう境遇に対しいささかの同情を抱いているのである。せめて敬語くらいちゃんとつかわさせてもらいたいのである。

(初稿 2001.11)