土曜洋画劇場:


 僕は金曜日や土曜、日曜日の九時からのテレビでやっている『洋画劇場』が好きだ。

 なぜ、好きかといわれると大変難しい。あの枠で放送される映画というのはそれほど「よい」映画ではない。いわゆる娯楽映画、口さがなく言ってしまえば「暇つぶし」のような映画である。

 『洋画劇場』で放映される映画はまさに消費されるために存在する。たとえ芸術が目的で作られた映画であっても、ひとたび洋画劇場で放映された場合、それは消費物と堕してしまうのだ。そう、洋画劇場はインテリゲンチアのためにあるのではなく、労働者のためにあるのだ。
 

 僕にとっての『洋画劇場』は子供の頃の記憶と結びついている。

 
 宿題を終えて、そうっと、階下に降りる。
 キンキンに冷房が利いたリビング。28インチのテレビの前。
 親父がステテコ姿で寝そべっている。傍らにはビールがコップに半分。もう泡は消えてしまって、グラスの縁にこびりついているだけ。
 低いいびきの音が聞こえ、いつものとおり父は寝入ってしまったようだ。きっとナイターの続きで観ているに違いない。

 僕も冷蔵庫から氷を取り出してカルピスを作りそうっと傍らへ座る。気配に気づいた父はわずかに片目を開けるが、興味なさげに目を閉じる。まるで番犬のように。

 「ここからは……の提供でお送りします」と提供会社の交代を告げるテロップが流れる。ため息のような酒臭い寝息の音が聞こえる。

 途中から観てもなんとなく筋はわかる。少し時間が過ぎると「おい、もう寝ろや」と後ろから父は唐突につぶやき、また目を閉じる。僕は肩をすくめ、階上へ上がる。僕の背後で


 今でも、『洋画劇場』を観ると、私にはリビングの冷房の効いたひんやりとした空気を思い出すのである。
 

 芸術くさい映画(フランスだとか、イタリアだとかの)を嬉々として観る、という行為にはある種の「鼻持ちならなさ」があると昔思っていた。

 それに比べて『洋画劇場』で放送される映画は、そういった映画と対極の位置にある。
 ハリウッド発の、潤沢に予算を使ったアクションものとか、深遠すぎないSFもの。インディ・ジョーンズに代表されるアドベンチャー。宮崎アニメ。ラブロマンスものは意外と少ないが、ハッピーエンドでお子様にも見せられるもの。

 ドラマツルギーとか、芸術性などの観点ではお世辞にも褒められない。映画通に言わすとごみのような映画ではあるが、時間つぶしという意味では最適なのである。

 物事にこだわらない洒脱さ。こういうものを文句いわず消費するというのも、一市民としての潔い態度ではないだろうか。「男は黙ってサッポロビール」というコピーが昔あったそうだが、それにも一脈通ずるものがある。(サッポロビールがまずいものというわけでもないのだが)

 大人は余暇の時間に小難しい映画を見て頭を使って疲弊させたりしない。

 そんなことはガキのすることだ。

 そして元の映画のニュアンスを微妙に変質させる日本語吹き替え。
 

 大学生になり、映画も観るようになった私だが、洋画劇場的な映画というのはいわゆる映画の中でもごく限られたものに過ぎないということがよくわかった。やはりあればすべての映画のなかから洋画劇場的な映画だけをピックアップしているのだ。

 ただ、レンタルビデオで映画を借りてきて観るというのは医者になり、忙しくなるとなかなか難しくなった。細切れの時間や「ながら」時間ならまだしも、まる二時間聴覚と視覚のすべてを完全に占有される芸術形態というのは不効率極まりないのである。医者と映画好きを両立させるには睡眠時間と命を削るしかない。

 そういう場合に便利なのは、意外にこれ、『洋画劇場』なのである。吹き替えなので本を読みながらでも大筋はわかるし、ちょっとくらい見逃しても筋も単純なのでわからなくなったりはしないのだ。ときどき、そういう『洋画劇場』気分を洋画劇場時間以外の時間帯でも味わいたいがために、『ツイスター』みたいなやつをレンタルビデオで借りることがある。

 もちろん、日本語吹き替え版だ。


(初稿2002.4日記)