食パン:



 たっぷりとバターを塗った焼きたての食パンがたべたい。

 時々私はむしょうにこう思うことがある。

 私は独り暮らしが長い。中学生の時、県外の某有名進学校に行くことになって以来、親元を離れて今に至るまでずっと独り暮らしをしている。年数で言うと実に20年弱にもなる。人生の5分の3を独りで暮らしていることになる。

 だから、もう、独りで暮らすことに寂しさを感じることはないし、逆に同じ部屋に人がいるだけで落ち着かない。これは本来僕の心に備わっていた「独りは寂しいレセプター」が完全にダウンレギュレートしてしまったんじゃないかと思う。それゆえに機能するはずのもの寂しい心が失われてしまっているのだ、多分。

 学生の時分には家で朝食を作ったりも時にはしていたが、今では朝食は大抵出先でパンやおにぎりを買って済ましている。いわゆる「買い食い」である。今の私にとって朝食とはこうした冷めた物を袋からそのまま出して食するものなのだ。

 というわけで、朝ご飯を家で食べるというのは遠い遠い実家の記憶なのである。パンをトースターで焼いて、バター、もしくはマーガリンを塗る。もわっとしたパンの湯気とバターの香り。目玉焼き。ベーコン。サラダ。紅茶。僕は最近までコーヒーは飲めなかったので、古い記憶にはコーヒーは存在しない。

 時々、こうした遠い記憶の中の「ちゃんとした朝食」を無性に食べたくなることがある。不思議なことに、実家の朝食はパンであったりご飯であったり結構適当であったが、記憶の中で僕を渇望させるのは、なぜかごはんではなく圧倒的にパンである。

 その理由だが、おそらく、ご飯とみそ汁は朝食に限らなければ昼食や夕食ではそれなりに食べる機会があるので、別の形で代償されているのではないかと思う。一方、バターが塗られた食パンを外で食べる機会って、案外少ない。数少ない例外としては喫茶店のモーニングか、ホテルの朝食だが、今の家の近くには手頃な喫茶店がない。ホテル朝食はロールパンのようなものに、ホイップされたバターが付いていたりして、似ているようでちょっと感じが違うのである。
 
 ところで、実家では食パンにバターを付けていた。それも、あまり多くの量ではなく、ほんのひとかけを丁寧に薄く伸ばして塗っていたように思う。

 しかし中学の時の下宿ではいきなり度肝をぬかれた。塗るものはバターではなくマーガリンだったが、かなり大量に、それこそべとべとになるくらいの量を皆塗っていたのである。はっきりいってカルチャーショックであった。マーガリンの淡泊さと塗りやすさ、それと若さというものも一因であっただろうが、(なにしろこの下宿では管理人が老夫婦であったがゆえに、動物性蛋白や脂質が不足していたから)こうしたパンに塗るものの分量は人によってかなり幅があることをその時に知った。

 しかし、今日に至るまで友達の家に泊まったりしたときに食した数々の朝食を思い出して考えると、やはり実家で塗っていたバターは、かなり少なめであったと評価せざるをえない。うちはそういうものに関しては結構しみったれていたのだろう。

 うちではカルピスも、確かにちょっと薄かったから。
 
 実はわけあってついこの間彼女と別れた。

 (ま、よく考えるとわけなく別れるはずはない。我ながら馬鹿なことを言っている。)

 別れる以前、彼女の家に泊まった翌朝は、よく二人で朝食を食べたものだった。こんがりと焼けた食パン、カフェオレ(コーヒー牛乳といった方がいいかもしれない)、ちょっとした何か(卵とか)を、二人で食べる。ぼんやりとのんびりとしながら、これまた独りでは滅多に見ない朝のニュース番組がBGMになった。彼女は、やたらに凝った料理を作ったりはしないが、こうしたなんでもないような家庭的なカジュアルな料理を、実に手際よく作ってくれた。

 別れた今、こうしたなんでもないディテールがやけに思い出される。牛乳を飲む用のやや大振りなガラスのコップ、赤のチェックのトレイ、低いテーブル、窓を開けると吹き込んでくる高層階特有の風に揺れる薄色のカーテン。

 なんのことはない、食パンが遠い記憶なんていったけど、中近景の記憶を懐かしがっているに過ぎないのかもしれない。

 食パン、自分で焼いて食えばいいのだろうが、たとえそうやって物質としての食パンの欲を満たしたところで、こういう痛いような痒いような心の穴はきっと埋まることはないのだろうな、と思う。「食パン」という特定の要素に帰結させているのはある種の欺瞞なのだろうし、それを埋めてくれる何かのために、僕はわざと「食パン」という心の穴を開けて待っているのだろうか。

 そういう事を書いているからといって、「×子ー!!戻ってきてくれー!!」と『Web版尋ね人』(我ながら懐かしい)をしようというつもりでもないのだが。



(初稿2004.5日記)
その後、縒りが戻ったりいろいろあるわけだが、やはり「食パン」というのは僕の中で、何でもないながら、特別な地位を占めているように思える。ところで、この彼女であるが、一つ度肝をぬかれたのはジャムを塗るときも、まずバターを塗って、その上にジャムを塗っていたことだった。そりゃその方がおいしいが、しかしジャムはジャムだけだろうよ。違うの?

 それから、最後にこれをいうのもなんだが、食パンってなんだよ。どんなパンでも「食」パンだろう。じゃあ食わないパンはあるのですかと (by ホコサキさん)。