ラーメンいろいろ

—ラーメン


BGM:"ラーメンたべたい"words &music by Akiko Yano

おとこもつらいけど おんなもつらいのよ
 ともだちに なれたらいいのに


深夜のラーメン屋

 店が開いているからしようがないけど、ラーメンは深夜にくうべき物ではない。ちょっと考えたらわかるよね。大量の動物性脂肪、塩分。寝る前に食して美容が保たれるわけがない。
 何で深夜までやってるかなぁ。和ソバが遅くまでやってればいいのに(*)

 だが残念なことに、一人暮らしが長かったせいで深夜のラーメン屋には随分とお世話になってしまった。というか今もだ。
 車でわざわざ遠くの店に行ったりはなかったが、学生時代は近くにあったラーメン屋を実によく利用した。生来胃腸が弱く、ああいうしつこいものを食べるとその後何日も体調が悪くなるので、できるだけ避けるべきだろうが、そこは一人暮らし、どうしても月に何度かは深夜に腹が減り、となると足はラーメン屋に向かうのである。空腹時にあの脂の匂いを想像して我慢できるものではない。

 勿論、食べて帰ると胃はもたれるし、寝れない。
 深夜のラーメン屋は罪だと思う。

 
「酒呑んだ後にラーメンが食べたくなる」っていうのだって、そう条件付けられているだけだよ。これは、どうしても深夜お茶漬け屋か、蕎麦屋をはやらせてもらわないといけない。
*:『元そば屋』の患者さんによれば、昔はそば屋というものは遅くまでやっていたものらしい。午前一時くらいまで営業していて、飲んだ帰りの客にも対応していたようだ。
 ラーメン屋が台頭してそういったそば屋が駆逐されたのはむしろ消費者である我々の責任であるのかもしれぬ。

商売のやり口

 こういうお家を考えてみよう。
お兄さんが坊さんで、弟が医者をしている家だ。

 それは、商売のやり口としてはちょっと「ずるい」ような気がしない?

医者が手を抜こうが抜くまいが(もしくは手を抜いた方がむしろ)兄の方は大儲けになるからだ。
 

 僕が今勤めている病院のある看護婦さんは、旦那がラーメン屋だ。

 考えようによってはこれも「ずるい」。


コレステロールを高くして病院に放り込む。いっちょあがり。

地方ラーメンについて


病院の近くのラーメン屋で「角煮とろろラーメン」を食べながら、丸谷才一風に考へた。

ラーメンをカテゴライズする場合、「塩」ラーメンとか、「しょうゆ」ラーメンとか「豚骨」ラーメンとかいつたりする。だけど「札幌」ラーメンとか「博多」ラーメンとかいう言葉もあるよね。
 前者はスープのベース味によって命名し、後者には地名が冠せられている。ややこしいことに、「博多」ラーメンは豚骨とほぼ同義であったり、「札幌」ラーメンは味噌と同義であったりする。

 札幌ラーメン、博多ラーメンなどの元祖「ご当地」ラーメンには文句はない。しかし最近、和歌山、尾道ラーメンに代表される新興「ご当地」ラーメンが最近流行だが、どうか。

 地名を冠するということは地方の郷土色を反映していると考えてよいだらう。例えば札幌ラーメン(道産子ラーメンでもよい)は北海道に豊富に存在するコーン、バターなどを用いているのが特色な訳だし、九州の豚骨は大陸に近く唐人町が多いことから、比較的昔から大陸料理の技法に明るいために生み出されたに違いない。
いずれも由緒或るラーメンだよね。

 所が、いはゆる尾道ラーメンと我々が称すものは「朱華園」のラーメン、和歌山ラーメンとは「井出商店」一店のラーメンを指すに過ぎぬ。うまいラーメン屋が一軒、それがたまたま和歌山や尾道にあるだけだ。和歌山、尾道市民の味の嗜好によつて形作られたわけではないし、そこに郷土色などというものも現れているかどうか疑わしいものだよね。

 そういつた訳でこれらのラーメンの命名には妥当性が感じられない。
これらのラーメンに地名を冠する由縁はきっと、すでに評価の定まつている博多、札幌ラーメンと同質だと錯覚させることにあるのだらう、と私は当て推量をはたらかすが、どうでせうか。

そして、これらの悪しき潮流を作り上げたそもそもの発端は喜多方にあるのではないかと思う。喜多方では町をあげて取組み、実を得たという経緯はあるものの、その前に無理矢理地方ラーメンとしての虚像をでっち上げたという意味ではA級戦犯であろう。
そして安易にその方式を採用した新地方ラーメンは今のままでは羊頭狗肉といふものである。
(その傾向は尾道→マスメディア→とUターンした情報によりある程度始まつているらしい。)

(2000/4/21)