Family-Restaurant 2



 以前ファミリーレストランについて一文をものしたことがある。あれは2000年、医者になってすぐのことだった。

 あれから変化したことが二つある。


 一つは、ファミリーレストラン自体の変化である。
 ファミリーレストラン(正確に言うと、フランチャイズの外食店というべきだろうか)自体の細分化、多様化がかなり進んだことである。

 岡山でも和食のファミリーレストランが数種類あり、イタリアンや中華(たとえばバーミヤンなど)など、各国料理の専門性を打ち出した店が増えている。一昔前なら、深夜といえばいやおうなしにハンバーグ的なものしか選択肢がなかったのだが、現在の我々はそういった単一性とは無縁になった。やっぱりみんなこの点に関しては不満だったんだろうね、とりあえず食事のジャンルには困らなくなったのはいいこと。逆にいうといかに我々がこのような外食店に依存を深めたかということの裏返しともいえる。以前ならファミリーレストランが無くなろうが困る人間は少数派だったかもしれないが、現在ではその数は確実に増えているだろう。

 ただ、フランチャイズのこの類の店はどれも判で押したように明るい店内で、居心地が悪い。独りでこのような店に行くのは孤独を浮き彫りにしているようで、なんだかと思わないでもない。

 スタミナ定食を食べる人間にスタミナがあったためしがないのと同様、ファミリーレストランに行く人間はファミリーレスなのであろう。

 それに新しい地方に来ても、その地方色が薄れてしまったのも残念なところだ。
 
 もう一つの問題というのは、ファミリーレストランの変化ではなく、それを使用する私の中の変化である。
 以前の文では男独りではこじゃれた店には入りにくいと書いたが、ファミリーレストランじゃないちょっとこじゃれた店にも独りで行って平気な人間になってしまったことだ。

 カップルで行くおしゃれな店とかにも独りでいける人間になってしまった。

 周りはおしゃべりしたり楽しそうなのをよそに、文庫本を片手に一品か二品注文し(こういう時の一品はサラダが良い。最近のサラダはいろいろ入っているからサラダだけでもちゃんとした一品なのだ。サラダと、ガーリックトースト的なサイドディッシュを一つ。独りで食事するならそれで十分。)そそくさと食べ終え、店を後にする。店の方もイレギュラーケースなのか、戸惑った応対になるし、なんだか客の中でも浮いているな気がして、食べている間背中がスースーするけれども、このような孤独な食事にも慣れ始めている自分に気づく。

 「最強伝説黒沢」という漫画があるが(『金と銀』の作者福本伸行だ)、そこに出てくる40過ぎの独身肉体労働者黒沢にも通じる深い孤独。

 我々が社会とコミットしているかデタッチしているかを量るのに、常に食事を独りで食べるというのはよい尺度なのかもしれない。社会の最小構成単位すら構築する気がない、それが独りで食事を食べると言うことなのだ。



(初稿 Apr. 2003、改稿 Sep.2003)