Web日記〜あくせくとアクセス

—Web日記5



 アクセスカウンターというものを銀行の預金残高の様なものに感じることが時々ある。

 アクセスはそりゃ少ないよりは多い方が嬉しい。自分の行った行動(サイト作り)に対しての世間の評価というものはなかなかわかりにくいのだが、それを数量化してくれるのはやはりアクセス数しかないのだ。

 「サイト運営→アクセス数」は、実生活での「仕事=報酬」という構造となぞらえてしまいがちである。しかし実生活での我々の給料には生活費が含まれているが、ウェブサイトの場合は経費(生活費)は実質的にゼロなので、純粋に可処分所得という形で支給されるわけである。というわけで、多く貰ったらそれなりに嬉しいが、がつがつする必要はない。

 時々カウンターの数を極度に気にしているサイトを見ることがある。(最近は減ったと思うが)。いつも自分の銀行にある預金残高を気にしているようなもので、はっきりいってしまえば異常である。そういう人達は仕事=サイトの内容充実はそっちのけで、アクセスアップという「利殖」に励むわけである。ウェブサイトなんて趣味なんだからそんな「数字」の目標に従っても面白くも何ともないんじゃないかとも思うのだが、まぁ、目標達成の達成感をカタルシスにするタイプなんでしょうね。

 しかし、それなりのアクセス数があるということがサイトのある種の信用というか証明になる場合もあり、この場合は「見せ金」としての「銀行の預金残高」の使われ方に他あるまい。



 と、書いてはみたものの、アクセス数という観点でサイトを語ることは、「アクセス数としての対価」を前提としたサイト制作ということになり、どう書いても不健全であることに気づいた。

 好きで作っているのが出発点なのに、気がついたら(実生活の金銭ではなく、精神的な満足というものの)ある種の対価を求めている。

 小学生の時、「将来なりたい職業は?」と聞かれた時、パイロット! 花屋さん! と口々に答えた経験はあると思うが、その時給料のことは君の頭の中にあっただろうか?(※1)

※1 おそろしいことに今どきの子供にはあるらしいが。


 趣味に市場原理を持ち込むのは、ある意味危険である。

 
 アクセス数の多寡を人と競っても仕方がない。

 アクセス数というのはある種雑誌の発行部数のようなものだと思うが、「少年ジャンプ」と「趣味の盆栽」では部数を競っても仕方がない。先鋭化すればするほどその対象範囲は狭くなるし、部数が多くなれば大多数への影響力は大きくなるだろうが、個々人に対する影響力は平均すればむしろ少なくなってしまう。

 種々の条件をとっぱらえば、サイトコンテンツの大衆性の多少によりアクセス数は規定される。これはサイトの持つ潜在的なマーケット範囲である。マニアックなサイトはアクセスが少ないし、多くの人間が興味を持ちやすいサイトはアクセス数が多い。

 サイトコンテンツから導き出されるこの潜在的なアクセス数はいわば理論値であり、仮に「アクセス限界」と呼ぶこととする。

 実際のアクセス数は、この「アクセス限界」に様々な因子を修飾した結果決まる。

 一つには「サイトの完成度」である。確かに、文章力が貧弱であったり、コンテンツ内のテキストの量が少ないような状態は、「アクセス限界」で予想されるアクセス数より実アクセス数は遙かに低い。コンテンツを充実してゆくにつれてアクセス数は上昇し、「アクセス限界」に近づいてゆく。

 もう一つの因子は、コンテンツを充実させる以外に我々が講じる、アクセス数アップのための努力である。アクセス数に対し無自覚でいられない我々はアクセス数を増やすために外的なコミュニケーションを取り、アクセスを増やそうとする。

 われわれはアクセス数の大小をそのままサイトの価値と比例すると誤解しがちである。アクセスが増えるような努力に我々を駆り立てるのにはこのことにも一因があるのである。これらの努力によって、一時的にコンテンツの持つ「アクセス限界」以上のアクセスを得ることも可能であるのだが、コンテンツに拠らないアクセスアップは遠からずリバウンドが来るものであり、信用低下を初め、長期的にはサイトの破綻にもつながる。
 

 で、私のサイトの場合、2003年6月現在、一日約100人程度の人が訪れるようである。CGIにてアクセス解析を行っている限りでは多くの方はブックマークなどから訪問しているようで、ある程度固定読者がいてくれているということになる。

 正直言って、私のサイトのコンテンツはあまり普遍性があるとは言えない。不親切であるし、時折不必要かつ重箱の隅をつつくような知識を読者に要求する。もともとの「アクセス限界」というのはあまり高くないと思われる。

 どんなに僕が頑張っても「こんな内科医ですみません」サイトを上回るアクセスを望むのは端から無駄な相談であろう。

 しかし、文章自体に直す点はまだまだあるし、文章の完成度を上げることによって実アクセス数はもっと増えるのかもしれない。

 茫漠とアクセス数の増加を目指すより、自分のサイトの大衆性をきっちり評価した上で「あらまほしき」アクセス数に近づく努力をした方が良いのかもしれない。


 そういうことをふまえた上で、
 「アクセス数を増やす努力はした方がよい」
 「アクセス数を増やす努力はしない方がよい」

 と、矛盾するテーゼを並べ今日は終えよう。

 
 

 たとえば医学雑誌は発行部数で評価せず、インパクト・ファクターとサイテーション・インデックスという評価方法がある。これは他の雑誌や論文への引用件数で、他からの注目度合いで雑誌の価値がある(勿論、発行部数とは正の相関があるが)。上記の評価方法に似たような方法でウェブサイトを評価する方法はないものだろうか。

 
「ねぇ?」
「何」
「この文章ってさぁ…」
「何だよ」
「まさに、アクセス数、気にしてない?」

「あっ」


(Jun. 2003初稿 改稿 Nov)