田舎の人間について

—田舎で暮らすということ   その4

 今、僕が住んでいるのは人口3万人にも満たない小さな市である。

 僕自身、都会育ちではないのが、思春期以降はずっと神戸で生活していた。だから、このような田舎に住むことは初めての経験である。

 住んでみてとりわけ肌で感じたのは、決まり文句になってしまうが、田舎はやはり「ムラ社会」だということ。ものの考え方、風習などについても田舎特有である。
 それは、現代の都市部の人間から見ると、ほとんど別国の体を為している。
 

 日本海側の大部分がそうだと思うが、この街もご多分に漏れず、高齢化に悩んでいる。(悩んでいるのは役所の人間だけかもしれないが)。

 65歳以上の人口比率が25%以上。これは、日本全国の平均からすれば、10-15年後の水準で、街の平均年齢は一年に1歳近く上昇する。
 主要な産業もなく、緩慢な死を迎えようとしている。

 こういった状況は、ほとんど人口の流入がないために起こるのである。
 人口の流入がないということは、その他の地域の変化の影響を受けにくい。そのために中央の政治体制の変化の影響をあまりこうむらない。また、今までのやり方、今までの考え方がよく保存されている。新しい考え方をする人間は都市部に出ていくからです。

 ですから、近代日本の二大ブレイクスルー、明治維新と戦後民主主義をこの街は通過していないのである。ポストモダニズムなど、言わずもがな。
 言い換えると、この街にずっと住んでいる人達はこの二つの思想的変化を咀嚼し得ていないまま、現代日本を生きていることになる。
 

 つまりは江戸時代からさほどの変化がない、ということだ。

 もちろん、政治的諸制度やいろいろな新製品があれば、それはあまねく田舎にも行き渡ります。江戸時代から変化がないといったって、いまだに「せんばこき」を使っているわけではありません。コンバインやトラクターを使います。税金も当然年貢ではありませんし(ちゃんと確定申告をします)、また、80歳や90のお年寄りでも(子や孫が買い与えた)カラフルなフリース(おそらくユニクロかジャスコのものでしょう)を着たりしています。

 問題は、新しい変化がそのような即物的なレベルでしか行われないことです。

 佐久間象山か誰かの言葉でしたか、「和魂洋才」という言葉があります。ここでも同様に「農魂都才」とでも言うべき現象が見られるのです。


 そして、田舎の人間は自分の考え方を言語化しません。そもそも言語化する、ということがまず近代人の行動様式だからです。だから、都市部の人間には田舎の人間と接さない限り、田舎の人間がどのようなものの考え方をするか、認識されないとおもいます。


・田舎の人間は都会の人間よりも、古い時代の思考様式・行動様式が残っている事が多い。
・しかし、田舎の人間はその事に対し無自覚なので、そのことが議論の対象にはならないし、差異を都会人が認識する事は少ない。

 僕は今、医者という立場で田舎へ赴任しているわけですが、日々の診療でそういう点に気づかされる事がしばしばあります。

 今いる病院に来る前、そして来たあとも先輩医師から『この街にはプシが多いぞ』ということをよく聴かされました。『プシ』というのは医者業界の隠語です。Psychoticとか、Psychosomaticとかいう言葉から来ているのではないかと思いますが、「精神的にちょっとおかしい」とか、そういう意味です。もちろん、良いニュアンスでは使われません。

 こういう言葉が出るのは、田舎に赴任させられている憤懣や土地の人間に対する侮蔑も含まれているというのが真相でしょうが、実際、人口3万人足らずで一年に10回以上遭遇しますから、自殺者は確かに多い。 
 

 また、訴える症状が変だったり、病気の症状を日常の関係ない出来事と結びつけて認識することが非常に多い。

 例えば、慢性的な頭痛の患者さんで、頭痛を訴える方がいます。問診でいろんなことを聞いていく訳ですが、「自分では何が原因と思う?」と尋ねてみると「揚げ物を食べると起こるような気がします。というか、きっと揚げ物ですわ。」とかそんな答えが返ってきたりします。(この場合「う〜ん、揚げ物は多分あんまり関係ないですね。」といいながら他の質問をします。)。また、「隣の家の人がうちに呪いをかけとるから病気になったんじゃないか」と言ってくる人もいました。これはホンの一例ですが、こういった例にうんざりするほど出会います。

 また、その逆で医者が病気の起こり方とか、治療の説明を何度してもわかってくれない人が何人もいます。

 もちろん、今上げた人達は都会にもいます。ですが、その比率が度を越しているのです。そういった患者が主流を占めているといっても過言ではありません。

 で、なぜこういうことが起こるかと色々原因を考えたのですが、われわれがものを考える際によりどころとなっている、「原因−結果」という近代の考え方の様式が浸透しきっていないためではないかと考えました。「帰納的思考」「演繹的思考」、それから西洋的自然科学の理解度も著しく低いので、いわゆる西洋的な思考・概念が希薄だといえます。

 だから話はかみ合いません。
「患者さんへの説明をしっかりと」というのは医療の基本的な原則なのですが、思考形態など、基本的なレベルで同じ土俵に立っていることがやっぱり大前提だと思います。そういう一見迷信深かったり、精神的に奇矯と思われる人への説明は、ミクロなレベルでの「文明の衝突」のようなものです。