島根の山:

—田舎で暮らすということ   その6

 朝からしとしとと小雨が降っていましたが、昼過ぎにはどうやらあがったようです。雨が降るこんな日には、山陰に、田舎に住んでいるという事を改めて実感します。

 というのは、田舎には田圃や畑、草原が多いので、降った雨はそれらの草地にたっぷりと湿り気を与えるわけです。雨が上がると草にたっぷりと含まれた水気はゆっくりと大気の中へ蒸発してゆきますが、アスファルトや地面と違って、草や木は表面積が大きい。だから空気と触れ合う部分が広いので、蒸発も早く、まるで湯気の様に立ち上ります。

 というわけで僕の住んでいる出雲平野は、雨上がりのあとは霧というか靄というかそういったもので平野全体が覆われてしまいます。雨上がりに立ちこめる霧は草の臭いがほのかに含まれ、鼻孔の奥の方にむずがゆさを感ます。

 また、山もそうです。雨が上がり雲の切れ目から晴れ間がのぞくと、水気をたっぷり含んだ山から、霧がゆらゆらと立ち上るんです。その様は、まるで雲が谷間から沸いて出たかのようにみえ、曇天の雲の切れ目とあわせてまるで 風雅で玄妙な光景です。

 

 僕はこの地の山が好きです。

 出雲平野は土地の面積に比して住んでいる人が少ないからでしょうか、土地が余っています。建物が少なく閑散としています。残り土地は、多くが田圃や畑ですが、それでもまだ使い途がないのか、耕作もされていないただの野原のような土地すらあるのです。それも平野の中に。平地でもそのような有様ですから、山なんていわずもがな。わざわざ山を切り崩すメリットがないのか、ほとんど手が加わっていない。

 皆さん、近くにある山で、宅地や道路の造成が全く行われていない山を見たことがありますか?よほどの田舎でなければ、狭い日本では、住宅や道路のために山を崩してコンクリートで固めたり、もっと極端な例では山ごと切りくずされたりしてしまいます。全く切り崩しを加えていない山というのは非常に珍しい。

 そして、まったく手を加えられていない山というのは、とても綺麗なシルエットをしているのです。

※ 厳密に言うと出雲平野を取り囲む山の中でも完全に手が加えられていない山は北側にある北山のみです。山陽地方につながる南側の山々は道路が何本も通っていたりして、幾分手が加えられています。
 僕は今まで山陽地方にある実家の周りでも、神戸の近郊でも、そのような山は見たことがありませんでした。確かに尾道や呉のように、山が海のすぐそばまでせりだしていて、山の際まで家が立ち並んでいる風景にも私はある種の日本的調和を感じるのですが、平野の中に疎らに家が点在し、山は山として放っておかれる。そんな景色は現代の日本にはちょっとありえない光景なのです。

 ともあれ、なんでもない山なんだけど、北山は美しい。


 でも、よく考えてみると、つい100年前までは、山といえばみなこういう山だったのです。開けたところも田舎でも、山は山で、コンクリートという余計なものは一切ついていなかった。

 それも、一層不思議な気がするのです。