梅原 Pathos


—本について



 皆さんは梅原猛を知っておられるだろうか。

 元々は西田幾多郎に影響されて哲学を専攻しやがて仏教関連の東洋思想へ傾倒し、その見地から古代日本の歴史に踏みいった彼は、「水底の歌」「法隆寺の謎」などで既存の歴史学界と真正面から喧嘩を挑んだ。そしてそれはある程度功を奏し、梅原史観は今現在日本である程度の地位を築くに至ったのである。
 

 『梅原日本学』といわれる彼の歴史史観は非常に面白い。非常に緻密かつ大胆な論理に基づいた歴史観が、流れるような論理に添って現れる知の楽しみが彼の醍醐味といってよいだろう。

 だが、彼を特徴づけるのはそう言ったものだけではなくて、文章に流れる異常な熱さ。とにかく熱い。少年ジャンプのヒーロー並に熱い。5人戦隊モノであれば明らかに赤色を纏っているだろう。

 時間がないのである。人生は短いのである。私は四十の半ばを過ぎた。学者として本当にいい仕事ができるのは、あと十年である。その十年の間に、私は、人類に役に立つ何らかの学問を残さねばならない。そんなことは必要ないと人はいうかもしれない。しかし、学者の道を選んだときから、永遠なものが、私の求める最大のものであった。永遠なもの、それは、夢か幻のようにはかないものかもしれない。しかし、人類はその永遠なるものを求めて、今日まで営々として文化を築いてきたのである。(梅原猛 『精神の発見』)
 これは初期の頃の文を引用してみたものだが、このように熱い。熱いぜ!
 彼の言葉を借りれば、ロゴスとパトスがかれの文には同居しているわけである。
 

 今でこそ梅原史観はかなり世間に認知されているが、「法隆寺の謎」とか書いていた初期は、完全に異端というかむしろトンデモ扱いであった。当時のエッセイなどにそれを見て取ることができるが、狂人扱いされながら世間に一人叫ぶが如くであったのである。確か本人もニーチェになぞらえていたと思う。

 実際初期の頃の作品は熱意が迸り、時に逸脱しなんとも言えない生梅原氏が堪能できた。端的に言って、「梅原濃度」が高かったのである。功為り名遂げた現在の方が研究自体の深度も深く、いろいろ学際的に様々な分野にも手を出していたりして、円熟を増してはいるのであるけれども。
 
  突然、漫画の話である。

 『柳沢教授〜』の作者山下和美の作品に『不思議な少年』という作品がある。永遠の生を持つ(ダンテ『神曲』に出てくるメフィストの様な)少年を狂言回しに、いろいろな時代のいろいろな人生の一側面を切り取って描いているなかなか哲学的で含蓄のある本だが、そのなかに「ソクラテス編」があった。

 処刑される寸前のソクラテスを主人公の少年が訪ねる。理想論を説くソクラテスに少年は彼の死後時間を辿って人類の未来を見せ、人類の愚かさを示し、彼の人生の無為を示そうとする。だが、結局ソクラテスはその中にも自分の意義を認め、従容と死につくのであった。

 歴史上の偉人であるにも拘わらず、作中でソクラテスはまるで少年のようなちんちくりんの老人として描写されている。目をキラキラさせたキューピーの様な老人は好奇心が強く人なつっこいのだが、このソクラテスを見て私は梅原猛を瞬時に想起した。

 漫画の作者にそのような意図があったかどうかはわからないが、私にはそういう風に思えたのだ。

参考までに。これが梅原氏の写真だ。肖像権侵害であるが、学術目的ということでご容赦頂きたい。
そして、不思議な少年のソクラテスがこちらだ。
 これはリンクで示しておこう。

 

 皆さんはどう思うか。

 是非、そういう目で、『不思議な少年』を読んで頂きたい。そして、そういう目で、梅原氏の、特に初期の作品を読んで頂きたいと思う。


(May. 2003初稿 Dec改稿)