道具の進化史


 我々が、今使っているパソコンとか、電話とか、もちろん車とかそういったものをみると、時々不思議に思うことがあります。

 約46億年前に地球が誕生してから、徐々に進化を続けてきたその果てに我々は存在しています。進化というのはランダムにサイコロを振り続けて意味のある目が出るまで待つような長期間の試行錯誤が必要なわけで、我々のような存在が出現するには膨大な時間が掛かっている。

 もし、もう一度世界を一からやり直すとしたら、我々のような存在に至るには、同じだけの時間がかかるんでしょうか。

 

 実際のところ、我々の生命の進化史では、最初の八割ほどの時間の間、殆ど変化がありません。生命が誕生した最初期の段階、先カンブリア代は約20億〜30億年続いていますが、この間生命相は殆ど変化しない。その後カンブリア代に入って、種の爆発的多様化が生じ、そこからはせいぜい数億年で我々が登場してくるわけです。

 果たして、先カンブリア代のこの長ーい長ーい変化の乏しい時間というのは、必然なんでしょうか、偶然なんでしょうか?

 もしもんのすごい偶然が続けば、この段階は1億年くらいで終わっていたのか。それとも、我々のこの歴史は実はまだ幸運な方で、100億年たっても次の進化に移行せず、コアセルベートのスープのまま終わるというシナリオもあるんでしょうか?

 こういったことは、再現できません。もし我々の文明がもう少し発展し、他の恒星系における生物相を評価出来るようになれば、我々が相対的どういう位置にあるというのがわかるかもしれませんが、現在の段階ではn=1でpを推測するしかない。これは反証不能な思考実験ですから、現代においてもある意味神学的な問いといえましょう。

 

 いずれにせよ、実際に我々の細胞が進化してゆくというのは、もの凄く確率の低いサイコロを振り続けるという試行ですから、イメージしにくいことではありますが、もし、ものすごい偶然が続いたら、(というか、イカサマのサイコロを振れば)最短でどれくらいで我々ホモサピエンスが誕生するんでしょうか。

 というのは、もの凄い偶然があっても、当初のコアセルベートから一世代でホモサピエンスには、いくらなんでも無理です。当初の単細胞生物と現代の我々では遺伝子の数も、タンパクも全然違います。

 例えば、こうした遺伝子をすべて用手的にTransfectionしてやるのでさえ、何千世代も必要な作業です。

 もの凄い古典的なSFに出てくる「全能神」的な宇宙人が、もし我々を試験管の中で単細胞から作り上げたとすれば、それには何世代必要なんでしょうか。ま、幾ら「神」のテクノロジーを持ってしても、数万世代は必要ではないかと思うわけです。

 

 同様のことを道具で考えたことがあります。

 現在、我々は当たり前のようにパソコンを、せいぜい10万円から30万円くらいの値段で手に入れることができますが、こういう機械は、もし1950年代であれば、例え一兆円出しても、作ることは出来ない代物でした。寓話的な話ですが、アポロ宇宙船が月に行く時にNASAで使っていたコンピューターはファミコン程度の性能であったともいいます。

 我々が現在、庶民でも当たり前のように得られるけれど、それ以前の時代には王侯貴族だって、手に入ることが出来ないものは沢山あります。

 道具は、もの凄い勢いで進化していますが、その進化した現在の道具は、その一世代前の道具で作られているはずです。

 例えば現在の研究室にある0.001gまで測れる秤を手で作ることはできません。こうした高精度機械は、それより前の時代のテクノロジーで、それほど精度の高くない機械によって作られているわけです。

 自動車のエンジンの精度とかって、1950年代と現代では格段の差がありますよね。これがテクノロジーの差ということになるのでしょうけれども、そういったテクノロジーの差というのは、それぞれ使っている工具や旋盤などの精度の差ということでしょう。数十ミクロンレベルの精度が数十年かけてミクロンレベルの精度に進化しているわけです。そしてそれぞれ一つ一つの道具すべてが、その数十年で精度の上昇を続けているわけです。

現在のその機械は、さらに前の時代のさらに精度の低い機械によって作られ、さらにその機械はその前の時代のもっと精度の低い機械によって生み出されました。機械にだって、この様な、連続した親子関係が存在するわけです。

 これをずっと辿っていけば、最終的には石器とかになるはずなんですよね、多分。

 道具の歴史も、生物の進化と同様に、おそらく途切れない一筋の線となって過去と繋がっている。現在のコンピューターの背後には、中世のソロバンや、大工道具のような工具や、石器がご先祖様として連なっているはずなんです。気の遠くなる話ですが。

 では、もしこの線が途切れたらどうなるんだろう。

 例えば、無人島に打ち上げられた男がいるとする。何も道具を持っていない。但し、知識はある。この男は、最初、さいとうたかをの『サバイバル』のように、生き延びるのに必要な道具、例えば椰子の葉でこしらえた家とか、魚を捕る銛とか、そういうものを作るだろう。だが、その先はどうだろうか。

 もしこの男が、もっと高度な機械を作りたいと思ったら、最初に作った手に持って操作出来る程度の原始的な工具から始めないといけないわけです。そうやって作った道具を用いてさらに複雑な道具を作る。その道具を作って、さらに精巧な道具を作って、というのを繰り返していけば、徐々に複雑な機械が作れるとは思うんですが、この男が例えば現在市販されている程度の自転車を作りあげることができるには一体何年かかるんでしょうか。

(初稿 Feb,2007)