Calender


ところで皆さんはカレンダーを買ったりしますか。

 大学病院で勤務している今はMRさんと会ったりすらしないが、市中病院の頃はMRさんとよく会っていたし、いろいろなものを貰っていた。そのようなものの一つにカレンダーがある。年末になるといろいろな会社のMRさんがいろいろな種類のカレンダーをくれる。もっともこれは医療界に限った話ではなくて、自社のロゴが入っているカレンダーというのは格好の宣伝媒体なわけだから、どこでもそういうものを作って取引先に配ったりするのは承知の事実だ。

 実家で親と住んでいた頃はそういってあちらこちらからもらってきたカレンダーを家のあちこちの場所に貼るのが年末の風物詩であったわけであるが、現在独り暮らしの住まいには、そういうもらい物のカレンダーは一切貼っていない。

 大した理由ではないのだが、別にカレンダーを頻繁にみる必要はない、というのと、そういうカレンダーは大抵自分の志向する部屋のインテリアに合わないからである。ちょっとアート系のポスターを貼ったりして自分の空間というものを作ってみても、カレンダー一枚でぶちこわしになる。最大公約数的に作られたカレンダーというのはやはり部屋を最大公約数的な空間に貶めてしまうものであるから。
 

 そういうわけで数年ほど前から文具店や本屋にてカレンダーを選ぶようにしている。気に入ったものがあれば、と思って丸善などへ行くのだがあまり心に引っかかるものもなく、結局買わないことの方が多いのだけれど。

 さて、今年は私、どうするだろう。我ながら。

 というのは、去年カレンダーを買って玄関入ったところすぐに引っかけておいたのだ。まだ12月にもならない年の瀬にはちょっと早い時期、そう、ちょうど今頃だったように思う。とりあえず一月になったら一月のを開けようと思ってそのまま吊していたのだが。

 実は、まだ、一枚もめくらずにそのままつり下がっているのである。

 ほぼ一年の間、玄関を出たり入ったりしていて、網膜にはカレンダーの姿は写っていたのは確かである。にも関わらず、その信号はまったく脳まで伝わっていなかったようで、石ころぼうしをかぶられたように僕の目にはとまっていなかったのだ。

 ということに、この間気づいた。さすがディフェンス力ゼロの俺。さすがに恥ずかしい。こんな私に、来年のカレンダーを買う資格があるだろうか。

 黒系のシックなカレンダーだったから、目につきにくかったのかなぁ、と言い訳してみたりして。

(2003.Nov日記)