椅子の真実



 インテリアにこだわると、当然椅子の話に行き着く。

 ことインテリアに関して、人は二種類に分類することができる。
 すなわち、いわゆる北欧産の椅子の値段をかっちり把握している人間と、

 そうでない人間である。


 北欧椅子の値段をきいても、たじろがないこと。
 これはインテリア狂となるための通過儀礼である。
 
 たとえば、映画『ファイト・クラブ』の主人公も、唯一の趣味は北欧家具を買い集めることであった。こんなことからも「北欧家具」というものがいかに特別な地位を占めているかがわかろうというものだ。
 
 街にある、椅子の専門店に行ってみた。

 以前、人から聞いてはいたのだが実際に行くのは初めてだったのだ。そう広くない店内に、選りすぐりっぽい椅子がならんでいる。入り口すぐに段差があり、靴を脱いであがるようになっているようだ。

 ちょっといやな予感がした。

 この形式は、逃げ場がない。

 店内は居心地がいいようにしつらえてある。ディスプレイ、全体としての統一感など、店主の細やかな心遣いが手に取るようにわかる。だが、店主の気がすみずみまで行き届いているのは、逆に言うと店内に余白がないということでもある。靴を脱いであがる時点で、そういう傾向を察知していたわけだが、無関心な空間がないのは僕のような人見知り人間にとってはまことに居心地が悪い。

 よく服屋などへ行くと、すぐ近づいて来て声を掛ける店員がいる。これも私は苦手なのだが、この場合、店員は過剰に接近することで私の持っている個人空間を阻害することで、居心地の悪さを感じさせるわけだ。しかしこの店の場合は、客は店主の持っている個人空間を侵害させられるスタイルになる。これはこれで気の弱い客は居心地が悪い。

 とはいえ、そこはうまくしたもんで、うち解けて、椅子に関していろいろな話を教えて貰った。こうしたところで如才なく振る舞うのは、正直いってあとで疲れるのだけれど、苦手ではない。

 わりとオーソドックスな椅子ばかりならんでいて、その中の一つにイームズのシェルチェアなどがあった。これなんて……と座ってみると、「ああ、これは観賞用です」とある種軽蔑を込めて、にべもなくおっしゃる。

 (……本当に売る気あるのか?)

「はっきりいってですね、椅子を買うときにははっきり決めた方がいいですね。つまり、見るための椅子か、座るための椅子か。」

「そうなんですか?」(……見るための椅子?)

「はい。正直にいいますと、そうなんですよ。」

「……そこまではっきりした言は初めてですけどね、そうじゃないかな、とは思っていたんですよ。」(ほらまた迎合してしまった)

「メディアで紹介されている多くの椅子は、残念ながら、必ずしも椅子としての座り心地がよいとはいえないです。そのよい例が、ウェグナーのこのYチェアです。」
(えっ?この世界的な椅子に楯突くわけ?)

「そうなんですか?これ、僕でも知ってる有名な椅子じゃないですか。」

「ええ。これは座り心地の悪い方の椅子ではないが、決してよい椅子ではありません。その理由は……」

 彼は、Yチェアと、そばにあったウェグナーの別の椅子、イージーチェア(これはいい座り心地だそうだ)と比べてどこがよくてどこがいけないかを理論的に説明してくれた。そう、実に理論的に。
 何が椅子の座り心地にとって重要なのか。

 座面の固さと角度、腰椎の外向きのS字カーブ、材質とスタイル。

 そういう風に一通りレクチャーを受けると、店の中の椅子の配置は実に計画的であることに気づいた。見てくれのよい椅子、悪い椅子、座り心地のよい椅子を点在させることで、座り心地とはなにか、気持ち良さはなにかが体験できるようになっている。

 彼の講義は非常にためになった。

 公平にいえば、彼のおかげで僕の中の椅子に対する理解と態度も大きく進歩することができたと言えよう。しかし、この店にまた行くかどうか、行きたいかどうかというと話は別だ。この店は基本的にモノを売っているのではなく、店主のコンセプトを売っているようなものだからだ。

 ただ、物とお金の交換に過ぎない普通の商取引と違って、コンセプトを売る場合は、とりわけ細心の注意を払う必要があるのだと思う。少なくともこの店主は椅子に関する確たる知識と方向性を持っていてそれを客に流布することに情熱を捧げているように見えるが、相当な工夫をしなければ、いくらそれがよいコンセプトであってもすんなりと受け入れられることは少ない。店主の思っているほどは客は素直ではないのだ。

 医療に対する『パターナリズム』というやつと似ているのかもしれない。

 美味しい物を食べにきた店で、体にいい食べ物をすすめられたようなものだろうか。結果的に変なものは出されないのだが、どことなく釈然としない思いは残るのだ。

 ほんとうは僕だって、そんな椅子に対して深く考えたくもなかったのに。
 

 でも、この店ではデザイン性はともかく、座り心地の良さを最優先に家具を選んでいたのだが、そういう選び方でも、やはり北欧の椅子が殆どであった。これは、非常に興味深い。



(初稿 May. 2004日記)