No More HIROSHIMA


 私の祖父は当時広島に出入りしたかどうかは定かではないが、最期は白血病であった。


 原爆記念日の話である。

 終戦記念日が実は敗戦記念日であるのと同様、原爆記念日は正確には「原爆被投下記念日」と言うべきである。こう言ってしまえば非常に身も蓋もないわけだが。

 巷間、戦争論、平和論さまざまな立場で論争が行われているが、私は相対主義的な思考を好む傾向がある。つまり、思考を展開する際に善悪の判断を留保したスタンスを保持しがちで、この件に関しても例外ではない。

 だから、自衛隊の問題とか、憲法第9条などに対しては(昨今の海外の状況を鑑みて)ジャパニーズネオコンといわれる積極的な賛成の意見にも一部賛同しているし、逆に絶対戦争反対意見も捨てがたいとは思っている。そもそも、より現実的な戦略が優れた戦略なのだから、イデオロギーから出発するのは間違っていると考えている。つまり、ある状況では戦争には賛成で、ある状況ではむやみに戦争を促進すべきではないし、現実的に考えれば事足りるわけだが、こと原爆(および核兵器)に関してはそのリベラルさも糞もなく、「絶対反対」の立場を崩すことができない。この件に関しては私はまったく非理性的になってしまうのである。

 なぜかというと、これはやはり非理性的な教育を小学校時代に植えつけられたからだろう。

 育った広島県の小中学校では「原爆教育」というものが行われているのだが、これはある種洗脳に近いものであった。つまり、原爆が怖いということを無条件にしかも繰り返し植えつけるのだ。(実際恐ろしいものだと思うが)。

 例えば学校の図書館はもちろん、各クラスに原爆漫画『はだしのゲン』や原爆の悲惨な資料集などの写真集があった。本の虫の私などはこれらの資料集を読み倒した挙句、いまだに広島の地理は元安橋を中心にしか考えられない始末である。さらに少なくとも年に2回以上原爆をテーマにした映画を体育館で上映したりする念の入れようだ(※)。

 そういうわけでまっとうな広島県人にとっては『原子爆弾は問答無用にいけないもの』であるし、その象徴である平和公園は問答無用に神聖なところと決まっている。これは動かしがたい事実なのだ。少なくとも僕はそう思って育った。

 ところが中学に上がり神戸の学校へ行くようになるとどうも勝手が違うのだ。広島県人の私が原爆ドームや平和公園に対して抱く神聖さは級友たちには全くなく、あまつさえ原爆で冗談を言う者もいたりするのであった。広島に居た頃はそんなこと口にすることはおろか、考えようともしなかった。非常にびっくりしたし、郷土を馬鹿にされたような気すらして思わず拳に力がこもったことを覚えている。まさにカルチャーショックであった。

 その時初めて気がついたのである。広島県人の間での「原爆」のイメージと、他県の人間のそれにはかなり温度差があるということに。

 つい先日も、関西学院大学の未熟な学生が「つい出来心」で鶴を燃やした、という事件があったが(2003年8月の話)、根本は同じなのではないかと思う。まっとうな広島県人ならば、こうした行為は明らかに世間を敵に回した反社会行為であり、そういう覚悟を決めて行うならともかく、酔った勢いで行えるとはちょっと考えにくい。広島県人にとっては被爆関連のモノは特A級の神聖物件である。

※特に『ピカドン』という15分前後のアニメ映画は無茶苦茶怖かった。
 まず最初の5分は爆弾投下直前の広島の風景、いろいろな人々の生活の様子が普通に描かれている(勤労に向かう学生や物干し台で洗濯物を干しているモンペ姿の婦人とか)。そこに飛行機がやってきて爆弾を落とす。
 これらの平和の風景が爆風・熱でどろどろに溶けていく様を、スローモーションで描くという身も蓋もない内容である。淡々としたタッチなのだが、容赦ない。子供の心に焼きごてをあてる問題作。
 『はだしのゲン』やイギリスアニメ『風がふくとき』など比較にならない。

 こういう風に我々は原爆に関して教育されたのであるが、この教育は無条件に肯定できないと今は思っている。

 そもそも『原爆教育』は誰のためのものなのだろうか。

 広島県で特に原爆教育が盛んなのは被爆を受けた当事県なので無理もない。
 しかしただの啓蒙活動だけでなく、「被爆者を『平和の語り部』にしたてた世界平和希求運動」という活動を維持するためという側面も無視できないと思う。

 なにしろ純粋な『被爆者』は年月が経つにつれて減少してゆくのである。

 『原爆教育』は実際に被爆することなく被爆を疑似的に追体験することが出来る。これはちょうど実際に感染を起こすことなしに免疫系に抗原を提示し警鐘を及ぼす、つまりワクチンのようなものといえなくもない。

 これを幼少時より繰り返し導入することにより『擬似的な被爆者』を再生産している。そうやって被爆者のシュミラクルとしての我々が誕生する。平和とは、と我々に考えてもらうための教育ではなく、平和の語り部としての我々を生産するのが主目的であればそこに議論の発生する余地はないだろう。

 優れたワクチンは免疫系をいたずらに攪乱しない。ある抗原に対する抗体をあくまでシンプルに生産する。ワクチンは、迷わせない。

 我々が受けた原爆教育が「教育」とは名ばかりの「ワクチン接種」であると考えれば、これらの教育の場で議論がまったくなされなかったというのもすっきり説明できる。実際『原爆教育』では議論を行う余地や意見の多様性、振幅を認める雰囲気すらなかった。

 これが、長年『被爆教育』を受けた私の実感である。あんまり書きたくないが同和教育もそうである。主催者側の導く結論に刃向かうことは勿論、質問すら許されない。

 しかしワクチンだって確率は低いが有害事象(副作用)はある。『原爆教育』が『被爆体験のワクチン』である限り、たとえ疑似であっても体験は体験であり、精神に及ぼす影響は無視できないだろう。たとえば、PTSDなんか起きないだろうか。

 尤も、そもそも原爆を忌避してもらうためには軽症のPTSDになってもらった方が都合がよい様な気がするが。(※)

 たとえば———広島県在住の米人家族がいたとして、末娘キャシーちゃん(10)(仮)が小学校の被爆教育で深刻な精神的被害(PTSD)を負ったとして広島県教育委員会を訴える———という事態が今後起こりやしないだろうか。

 アメリカは今後絶対に広島に謝罪することはないし(そもそも謝罪をするならまずインディアンから謝罪しなければいけない。この辺りのアメリカの精神の歪みは岸田秀の行った国家レベルでの精神分析的考察がわかりやすい)、いまある原爆教育のようなディベートの伴わない意見の押しつけはアメリカでは教育と見なされないだろう。

※ 余談であるが私の場合あまりに原爆の恐怖記憶を植え付られたが故に、
 原罪としての罪悪感というものが原爆に象徴されるような状態が見られた。
 子供の頃の話だが、夜中に原爆が落ちてはこないかと脂汗を流して夜眠れなかったり、それが幾晩も続いたり、1945年8月15日午前7時30分にタイムスリップする夢などをよく見た。これって広義のPTSDだったのかも、と今では思う。
 今となってはばかばかしいようだが、冷戦時代、核の恐怖は今よりも遙かに実在感があったのも事実である。



 原爆から話を広げて『平和教育』全般を考えてみると、戦争、その対立項としての平和の認識自体もちょっとずれているのかもしれないと思う。

 日本国民にとって太平洋戦争があまりに激烈であったのと、それから今に至るまで平和に過ごせているせいで、日本人は未だに「戦争」といえば太平洋戦争のイメージから脱却できないが、現代の戦争はそういう我々の固定観念を越えていないか。

 アメリカ対イラク戦争などは極端な非対称性故に戦争というよりはむしろ『膺懲』(これは中華思想用語で「懲らしめる」といった意味である)と言うにふさわしい気がするし、現在も世界各国で行われる民族紛争は、先の大戦とは様相が明らかに違うような気がする。

 第二次世界大戦や太平洋戦争のような「世界大戦」は敢えて日本が反対せずともヨーロッパ諸国、アジア諸国、皆したがらないに決まっている。だから戦争といえば機械的に太平洋戦争を念頭において世界に平和を問うても、すでに陳腐化したお題目にしか聞こえないし、世界が本当に求める「平和」のニーズから外れているのではないか。

 冷戦時代をまったく戦争に触れずに過ごせたおかげで、我々の『戦争』の具体的イメージは圧倒的に時代遅れのものとなってしまった。
 

 日本の敗戦はすでに諸外国にとっては単なる失敗としか見られていない。終戦が「尊い終戦」というのは、日本国民がそう思いたかっているだけで、大いなる幻想である。少なくとも平和運動家が運動したから平和になったわけではないのだ。終戦に意味などない。あれは単にそれ以上戦争を続けられなくなっただけだ。

 それよりも、敗戦から現在まで一貫して日本は戦争に巻き込まれず経済発展を遂げた、その事実の方が重要ではないかとも思う。

 戦後の日本は平和を享受した。確かにそれは他国の戦争をだしに経済発展をし、国際社会の中で(アメリカ主導であったものの)巧みに舵をとった結果で、そこにはかけらほどの理想もない。「汚い平和」といってもいいかもしれないものの、やはり平和であったという事実に変わりはないのだ。

「我々は他国の血の犠牲のもとに平和を築いたが、汚くても平和は平和。おかげで貧乏国が世界第一の金持ち国家になりました!イイネ!平和!平和万歳!平和最高!」と世界に発信するのはどうか。軽蔑しながら諸外国は耳を傾けてくれはしないか。

 平和が尊いものであると、そして日本は自分の意志でこの平和を維持し続けているなどと発信するから反発をかうのである。


(2003.Aug 初稿、改稿2003.Sep)
 原爆記念日前後に前半を書き、その後、
淡々としていなくもない日常:8/21 平和資料館 の論考を読み、インスパイアされ、後半を書きました。謝辞。