国家試験の知識は臨床には役たたない?



 学生時代、実習で先輩医師に、
『国家試験の知識なんて臨床では役にたたんよ』
とよく言われたものだ。実際は、どうか。

 研修医になって半年を終えた実感では、その言葉は、半分は本当で半分は嘘かな、と思う。


ペーパーテストという性格上、試験では足りない部分はもちろんある。接遇だとか、実技だとかそういう実際に身体を動かす部分だ。また、学問としての医学と実学としての医学の解離もある。

 一番困るのは薬だ。
 国家試験の特徴が一つある。病気の「診断」については結構なレベルで問われるのに対し、「治療」に関しては立ち入った設問はかなり少ないのである。おそらくその理由は、「診断」は全国的にだいたい同じだが、治療の選択・適応等については施設によって差がありすぎるからだと思う。つまり国試の問題制作委員の間での統一見解が得られないから、正解のある問題がつくりにい。
 残念ながら、診断は医師の仕事の半分にすぎない。のこり半分は『治療』なのである。

 たとえば、胃潰瘍の患者が来たとする。
胃カメラ等行った後、胃潰瘍の診断が確定し、一応胃癌等ではないかどうかのの否定のためのBiopsyを行ったとする。そこからは、治療だ。…というわけでH2-blockerやPPI等の制酸剤、粘膜保護剤にて保存的治療だ。
簡単だ。

 …ここまでは国家試験の知識で十分何とかなる。

医学から遠い人へ:PPIもH2-blockerも、粘膜保護剤もいわゆる「胃潰瘍」の薬の種類です。胃潰瘍というのは胃にがばっと穴ぼこの様に傷ができる病気なのですが、皮膚と違って胃には胃酸があるので傷が治りにくい。そこで胃酸の分泌を抑える薬がH2-blocker(「ガスター10」という名前で市販されていたり)、同じように胃酸を抑えるのだが、別の効き方をする比較的新しくて作用が強力な薬がPPI、粘膜保護剤はトローンとしたもので、傷を覆って酸の攻撃を守る作用です。おそまつ。

 だが、その次に看護婦さんに「じゃぁ、処方箋書いてくださいね」って言われたら、そこで、はたと困るわけだ。

そう、薬の用量、用法だ。国試ではそんなことは全く覚えなくて済むから。
朝・夕だっけ?眠前?一日何錠のむんだっけ?
「ちょ、ちょっとまって」「先生…」

 H2-blockerを使わなきゃならないとわかっていても、一般名・用量・用法が書けない。
一般名は国家試験にでない。ガスターとかザンタックとかタガメットとかアルタットとか、憶えなくていい。全部H2-blockerと憶えておけばいい。用法・用量も試験には出ない。真っ白な処方箋を見て僕等は途方に暮れる。
 指示を受ける看護婦さんなんかにとっては私の知識は「ゼロ」に見える。
というわけで実際に手を動かす段になると国試での薬の知識はもう一度覚え直さなくてはならない。
手元にポケット医薬品集などを持ち歩いているが、見ていると時間がかかるし、大変だ。病院に入っている薬、入っていない薬もあるので気をつけないといけないし。
そういうわけで今は頭がうにょうにょになっている。
大学ではコンピュータが導入されていたので結構なんとかなっていたのだが(選択する、っていうのは楽なものだ)、新しく来た病院は全部手書きだ。


 車の免許で筆記試験だけなのを想像してみるとよい。試験に合格するまで実際に車は運転出来ないのだ。
 「試験に合格したから一人前」といわれても、途方に暮れるしかない。

 そういう意味で試験を終えて、意気揚々と医師になったあと、このような事が起こると『国家試験なんて、全然役にたたねぇ!』という感想が起こっても無理はない。

 だけど、だけどそれは国家試験が無駄、という意味ではないのだ。

 一般知識として国家試験に出る程度の項目はやはり知っていなければならないし(少なくとも内科は)、中小規模の病院では実際にはお目にかかれない珍しい病気に少し偏重しているのもメリットと言えないこともない。 医者になって「実学」として日常臨床のなかで勉強するだけでは、これらの珍しい病気に出会っても気づかなかったりするかもしれない。

 何か変だな…と思ってもう一度成書を見直して見るとそういった珍しい病気が鑑別疾患にのぼるという経験は少なくないが、これだって一度国家試験で網羅した知識が無意識の中に含まれているおかげで「変だ」と気づけるわけである。


 というわけで、学生さんは国家試験の勉強、しっかりやって下さい。進む予定のないマイナーの科目などは、これで勉強するのが最後かもしれないけど、国家試験の時の知識が最後まで残りますので。