医学用語の誤謬について:


 外来とは——

 ——医療関係者と非医療関係者が公式に出会う場所である——

 ちょいと気取りすぎか?

 しかしこう定義してみれば、外来とはまさにそういう異質な両者がお互いを理解しようとする場ということがよくわかる。お互いの理解こそが診療には必要不可欠であるが、しかしその過程でお互いの無理解さが露呈することはよくある。

 もちろん多いのは医療に関して非医療関係者が無理解な場合だ。専門知識を持つ側と持たざる側。これはある種当たり前ともいえる。しかし逆に非医療関係者に対し医療関係者が無理解な場合もままある。あまりに医療的な世界に馴染みすぎたために、非医療関係者であった頃の自分を忘れてしまった医療関係者も時にいて、そういった人間の無理解は、非医療者側の無知よりも遙かにたちが悪い。

 両者の間の懸隔にはいろいろなレベルがあるが、両者の扱う言葉の定義からしてそもそも誤っている場合がある。しかも全く知らない単語ならともかく、馴染み深い言葉は、一見意味が通じてしまうために、誤謬が存在するということすら気づかない。結果として、話をしてだいたい理解が得られたような気はするものの、どこかが変だという違和感を抱くことになる。
 

 しばしば誤解される言葉の代表が「トラウマ」「ストレス」「ショック」であろうか。

 一般的な用語としてのこれらと医療関係者が使うそれらでは意味が異なることに我々(、というのは医療関係者という意味だ)はもっと留意すべきだと思う。

 一般的な用語で用いられる場合、これらの言葉は意味が狭く、なぜか精神的な事象のみに限定されている。つまりこれらはそれぞれ「精神的トラウマ」であり「精神的ストレス」であり「精神的ショック」なのである。経緯は分からないが、精神分析学の方が世間に膾炙しているせいなのであろうか、と私などは考えているのだが。

 もともとこれらの言葉はそういう限定された意味に限らない。トラウマは「傷」、ストレスは「抑圧」、ショックは「衝撃」とでもいった意味だ。何のことはない普通の言葉であるから、医学的な文脈ではもちろんこれらは必ずしも精神的なものに限らず、物理的な事象にも適用されるのである。たとえば裸で寒いところに放り出された時に体が受ける影響も「ストレス」だし、職場不適応で精神的に受ける影響も「ストレス」だ。交通事故で受けた骨折や挫創などの怪我も「トラウマ」だし、レイプされた心的外傷も「トラウマ」だ。トラウマとは単に怪我のことなのだから。
 

 というわけで、元々の「ストレス」「トラウマ」「ショック」という言葉は割と広い意味を持つ手垢のついていない言葉なのだが、一般的な用語としてこれらは主に精神的な意味合いに限定される。

 もちろんこのことを知っている我々は、診察中にこれらの言葉を使う場合はこれらの意味で用いる。アメリカのドラマや小説によく出てくる「分当たり何ドルでカウンセリングをしてくれる精神家」というのは日本にはいないので、診療中に「にわか心理カウンセラー」の顔をしてこうした「心的」ストレスの話を聞くことはよくある。何のことはない「何でも内科」の我々がこうしたカウンセリング業務を兼務しているようなものだ。いつのまにか愚痴と転じ、往々にして延々聞かされる羽目に陥るのだが。

 病気の原因は何だと思うか?と聞かれて「ストレスですかね?」という患者はとても多い。患者の疾患解釈モデルとして「ストレス病因論」は根強いのである。

 が、実は近代科学でそういった心的ストレスの関与が病気の発症に関与があるとはっきり解明されたケースはほとんどない。最近Evidence-Based Medicineという概念が流行りだが、ストレスを発症原因または増悪因子としてはっきりと示せたものはないのだ。

 だが、非医療関係者ではもちろん、医療関係者の間でさえ、この「心的ストレス病因論」は信奉されている。明確なデータにはなってはいないが、そう信じるに足る事象を我々は目にしすぎるのである。でもEBM的な見地からは根拠はない。EBM原理主義者は、EBMにあるものしか信じないが、こうしたストレス病因論すらデータにできないEBMだけで事に当たるのが正気であるのかと逆に問いたい。

 医療関係者の使う意味での「ストレス病因論」なら、これは概ね正しいのだが、外的な原因が病気につながるということを述べているだけ、あまり意味がない。

 ともあれ、「ストレス」と「トラウマ」という言葉に関しては医療側はおおむね齟齬に自覚的で、我々は一般的な言葉の意味を斟酌した上で話をすることが多いと言える(アメリカ帰りの医者はまた別かもしれないが)。

 

 しかし問題は「ショック」という言葉である。医学用語としての「ショック」はちゃんと厳密に定義された用語である。医者がいう「ショック」とは循環動態に深刻な影響を及ぼした状態に限られる。しかし医療関係者にとってのショックの意味をそのまま使って、非医療関係者は彼らにとってのショック、つまり心的ショックと受け取っているようなことが時々あるようだ。


「息子さんは大変危険な状態です。事故による内臓破裂、多発骨折のために出血が続いています、血圧も低く、意識も混濁しています。ショック状態に陥っていると思います」

「そうですか…」
(そら、意識がないんやからショック状態だわな。それを聞いたワシも、今ショック状態やがな…)

 こうした一見何気ない会話に、気づきにくい誤謬が含まれているのだ。

 こうした言葉は、一見当たり前に見えるので、誤りに気づきにくいのである。

(Dec 2003.初稿)