大人度の高い行動:


—人生について



 温泉旅館に泊まった。

 遠方に旅行したわけではなく、近在の温泉郷で一泊のリゾートである。

 ホテルとか旅館に泊まるって事はどうも居心地が悪い。「大人度」の高い事柄のように思え、未だにどぎまぎしてしまうのだ。

 ホテルに泊まったりするようになったのは社会人になってからだ。

 元々自分はあまり旅行好きではなく、バイトをしてまで海外旅行に行ったりというメンタリティーとは無縁の男だった。もちろん学生の頃も何度か泊まった経験はあるが、何しろお金がないので、少々なら車中泊だったり友達のところに泊まったりたりして、なんとか費用を浮かそうとしたものであった。多分今僕が学生なら、漫画喫茶のナイトパックを利用しまくると思う。

 今では、疲労を溜めたくないというのが最優先で、ちょっとのことでもすぐホテルを利用しようとする。

 

 しかし自分が大人扱いされることにはにはやはりまだ慣れない。海千山千(と、僕には見える)の仲居さんの説明もやや緊張気味に聴き、耳に入らない。「ええ」とか「はぁ」とか生返事ばかり。荷物を持ってもらったりして恐縮することしきりである。

 旅館は宍道湖畔にあり、松江市を一望出来る。見慣れた景色ではあるが、緩やかな山々と穏やかな湖のコントラストと雲間に見える夕焼けはやはり美しい処だと改めて思った。

 料理と露天風呂を楽しむ。「観光客向けにいかにもつけてみました」という趣の蟹はいかがなものかと思ったが(ちょっとスカスカしていて)、鯛の朴葉包み焼きは渋みのある一品だった。

 

 「大人度」の話に戻るが、お寿司とか、日本料理も同様で、働きだしてから行くようになったものの一つだ。

 そういう高い料理は親の金でいくもの(親も医者をしていてしばしば外食をしていた。いやな子どもだな。)だという固定観念が出来てしまっているらしく、行くたびに来慣れない者の振る舞いをしてしまう。また、店のサービスが悪かったりミスオーダーがあっても、「いやいや僕のようなものに料理を出してもらえるだけでも結構ですわ」みたいな気持ちで、強く言えない。そういうところではっきりクレームを言ったりする女の子がいたりして頼もしく思ったりする。

 自分で稼いだ金だし、分不相応なわけでもないし、堂々としていればよいのだが、気が弱いのだろうか。

 
 

 学生から社会人になって、仕事を始めると、一応は「大人」ということになるのだと思うが、こと仕事に関する限りあまり子供時代の想像の範疇を越えていない。

 結局、ごにょごにょと机の上で書類作業をしたり、会議をしたり、人と会って機嫌を損ねないように話をしたりするだけのことで、レベルの差こそあれ、学生のうちからこのような事柄は経験していると思う。逆に言うと小学校からの学校教育というのはこうした仕事に必要なことをじっくりと体に覚え込ませる、いわば職業訓練と言えなくもない。

 そういうわけで学生から大人になる段階というのは僕は不連続性ななだらかグラデーションを描いているように思う。

 医学部においてもそれは同様で、5年次くらいから始まる臨床実習を経て医師になるので、そこに不連続性はそれほどは感じない。

 

 我々が大人になったのを感じるのは、むしろプライベートな事柄で大人的な行動を迫られるようになった時ではないだろうか。

 生命保険に加入する、車を購入する、温泉や高い寿司屋などに行く、公共料金の振り込み用紙を書く。為替の手続きをする。

 人によってそれは様々だが、結局はそういうことではないだろうか。

(Feb 2002.初稿 Dec 2003改稿)