研修戦線異常なし

研修戦線 1

死について 2


昨日、また二人の患者さんが亡くなられた。


 

 島根県は老人の比率が多い。平均年齢は全国平均よりもおおよそ10歳高く、今の島根県の人口構成は、十年後の全国平均のそれと同じと言われている。厚生省による「高齢化医療」のモデル地区になっているのである。

 私が今いる病院は高度医療を行っている大病院ではない。地域密着型の中くらいの規模の病院である。やや自嘲がこもっているが、「野戦病院」といってもいいかもしれない。

 急性期病棟はあるにはあるが、加えて長期療養型病床、老人保健施設(老人ホームのようなものだ)も併設されている。いわゆる「老人病棟」である。

 そういった病棟では車椅子がないと移動できなかったり、寝たきりであったり、しゃべられない患者さんが多い。自力でご飯が食べられないので胃に穴を空けてチューブから栄養を流し込む「胃瘻(いろう)」を作っている人、呼吸機能の低下のため、のどに穴が開いている人(いわゆる「気管切開」だ)なんかも多い。

 かといって、急性期病棟には若い人がいるか、といえば、そんなことはない。住んでいる人の多くが老人であるのでやはり急性期病棟も老人ばっかりだ。

 はっきりいって、お年寄りばっかりなのだ。

 僕はお年寄りを診るのが嫌ではない。
 が、お年寄りを診たくて医者になったわけではない。
 では、なぜ、僕はお年寄りばっかりのこの病院にいるのだろうか。

 簡単に言うと、医局に言われて赴任したのである。
 「じゃぁ君、次ここ行ってね」「へえ」

 医師という職業はいわゆる「資格職業」である。しかし、「腕一本」で渡り歩く、というわけにはいかないのだ。

 医師は、殆どの場合大学の医局に所属し、その関連病院へ赴任するという形をとっている。一定の期間が終われば再び医局に招聘され新しい赴任先を指示される。それの繰り返しだ。
 なんだかカプセル怪獣みたいだ。

 全く何も後ろ盾がない医師が自分で自分を売り込む、というスタイルは日本ではまれである。この辺り、教員資格だけでは就職に直結しない学校の先生と似ている。
 (もっとも、最近はJamic Journal(=医者のフロムAみたいなものだ)をはじめとする医局を通さない雇用形態もあちこちに散見される。今後こういう方式が主流になってくるのかもしれない。)

 

 国家試験を合格後、つまり医者になりたての二年間は通常「研修医」とよばれる。この2年間は大学病院や各地の研修指定病院、大学の関連病院にて研修期間を積むようになっている。勿論、医師になりたての彼等が何でも自分の裁量で医療を行うはずはなく、先輩医師の指導の元に医療を実践しながらおぼえてゆくのである。

 研修医は昔の軍隊でいう新卒の「下級将校」の様なものだ。
兵学校を卒業したあと、参謀本部の命令により各地の戦線に派遣される。

 新米将校を迎えるのは実戦慣れした鬼軍曹(婦長さん、というところか)、というところも似ている。将校といえど、古参兵の経験にはかなわないし、彼等の助言に耳を傾けないと、勝てない。また、いくら作戦の立案が優れていても兵卒の使い方、人心掌握に長けていないと実戦では苦杯をなめることになる。


 初年度の下級将校=医師は大体大きな戦線=病院に配属され、模擬戦闘や先輩の将校の指揮に従いながら実戦に参加し、徐々に裁量権を増やしてゆくのが普通だ。(いわゆる「研修医」のあり方である。)

  だが、僕は何故か最初から辺境の実戦部隊に配属されてしまった。

 僕が今いるのは「研修医」が研修を積む場としては規模が小さい。

 上からの指示は少ない状態で、小隊を率いて孤立した局地戦を転戦している。ゲリラ戦を行っているようなものだ。ベストを尽くしているが、増援部隊も少なく、兵卒の士気はいよいよもって低い。

 兵学校(大学)でおそわったようには実戦(臨床)は思い通りにいかない。
小戦闘を繰り返し、転戦また転戦だ。

 戦況は思わしくない。なにしろ年齢が高く余命の少ない人がそろっているのだ。患者には老人が多い。だから死ぬ。当たり前の話だ。

 負けるのはおのれの戦闘の技量が低いからか、もともと負けるような戦局だからか。いずれにしろ、戦の勝敗は指揮官の責任である。
誰が戦っても負けると内心思いながらも、負けが続くとやめたくなる。



今日も二つ負けた。疲弊した敗残兵をまとめ、野営地の上には降るような星々。
夜空を見上げため息をつく。
「弱いなぁ…」と。