医者とヒゲ


医者の風景学



 休みの間ずっとひげを伸ばしていた。

 ひげというのは、ある程度のびてしまわないと、ただの無精ひげになってしまう。放置し始め一日目のヒゲはいかにもとっちらかっていてうっとうしい。。伸ばし始めて二、三日くらいのひげも、みすぼらしく、汚らしい。だが、このつらい時期を堪え忍んで、四、五日経てば、これは立派な「ヒゲスタイル」になるのである。髭の面白いところは、確信犯的に生やすとそれはそれである程度認められてしまうという点だ。

 出る杭、ではないが、ある程度のところまで伸ばさないと摘み取られてしまうのが社会人にとってのヒゲなのだ。「第一宇宙速度」に達しないロケットは大気圏を越えられない様に、ヒゲ濃度もある程度濃くないとそれは刈り取られるべきヒゲのままである。

 だから、こういう長期休暇はヒゲを伸ばすのに、助走をつけるのには格好の潜伏期間なのである。当直明けの明らかな不精髭時期を乗り越えた後、あと一日二日我慢すれば、あ?もうわざと生やしてる?みたいな感じまで到達する。

 まるで「スイミー」という絵本にでてくる小魚のように、一本一本は弱くても力を合わせると強くなるもの、それがヒゲなのだ。


なぜ医者は髭をのばすのか


 巨匠黒澤監督の『赤ヒゲ』という映画にも代表されるように、医者とヒゲとの親和性は高い。実際、医者でヒゲを生やしている人間は少なくない。学会に行ったりすれば、それこそいろいろなヒゲのスタイルを発見することが出来る。まるで、ヒゲの見本市である。

 なぜ、医者はヒゲを生やすのか。

 中年以後の医者の髭保有率は他の職業に比べるとやや高い様に思えるが、上述したとおりの社会的な認知も一助を担っているのだろうか。医師は会社組織に縛られない資格職業であり、そういった属性を反映しているのではと考えられる。つまり自由人であることがこうしたヒゲにとって有利に働いているのではないかと。

 勤務医などは病院の服務規程でヒゲは注意されることがあるが、町医者なんかが口ひげを生やしているような印象というのは根強い。開業医などは、個人事業主でもあるわけだから、「プレジデント」としてのヒゲという意味合いも含まれているのかもしれない。

 また、職業的な多忙さも一因だろうか。

 匂い論でも少し述べたが、研修医の際には「社会人の基本として身だしなみを整えること」を、とにかく強調される。だから当然、髭はそる。まぁ、社会人一年目なんだからあたりまえだよね。

 しかし、待機呼び出しや当直などで忙しい時期に、朝顔も洗えず、不精髭もそのままで外来や検査に出て行かなければならない状況をしばしば経験する。そうなると現実的に不精髭というものをぶら下げたまま仕事をすることを余儀なくされてしまうのである。

 僕は当直の日には原則としてヒゲを剃らない。皮膚が弱いのでカミソリでは肌が負けてしまうし(そして、白衣というものは、これまた赤い血がよく目立つんである)、かといって電気のひげ剃りを当直先に持って行く気にはならないし。そんなわけで当直明けはいつもごま塩髭である。これが、冒頭に述べた様に思い切って伸ばしてみようというきっかけになるのである。


髭の文化論


 ところで、身体の毛の要不要は文化によってずいぶん差異がある。

 切らなければならない毛の部分は文化によってまったく違う。

 たとえば江戸時代の男性は、簡単に言えば「ちょんまげ文化」なのだが、前額部の毛は不必要つまり処理すべき毛であった。現代若年女性の間では幅5mm以上の眉毛というのも、処理されるべき毛であるといえよう(石原真理子とかの時代が懐かしい)、清代中国の辮髪などもそうだ。風習によって毛の要不要はこれほどまでに異なるものである。

 髭に関しても同様で、たとえば現代アラブ人は成人男子は髭を生やすべきとされている。古代の話を言えば、ギリシア時代は皆豊かな髭を蓄えているが、ローマ人はきちんと髭をそっていたようである。

 いまのところ日本国内では、(たとえばアラブ社会におけるイスラム教のように)髭の要不要に関する統一見解を形成する文化は存在しない。ゆえに現代日本において髭の要不要はその人の属する社会集団や個人の嗜好に委ねられているといっていいと思う。

 もちろん、いわゆる正業に就いている殆どの会社人にとって髭は不潔さ、無調法さと等価であり、大多数としては髭は不要毛であるという前提がある。

 それを反映してか、特に清潔や潔癖を志向した80年代まではモデルや芸能界でもほとんどの場合髭は「不要毛」といってもよかった(※)。
※ この時期は髭に限らずあらゆる体毛に対して忌避感がみられ、男性の脱毛などが流行した。もみあげも総じて切り落とされていたと思う。(僕はこうした清潔過剰文化の代表としていつも山口美江を思い出すのだが。)
 しかし90年代以降、モデル界では髭は市民権を得てむしろ格好いい男は軒並み(十年前ならば小汚いといわれるような)髭をはやすことになった。おそらくメインカルチャーとサブカルチャーとの境界が曖昧になってきたからかもしれない。90年代に出てきた不精髭という記号は、そういうメジャーな「髭不要文化」に対するアンチテーゼといえなくもないが、このあたりはよくわからない。

 また、自由業や会社組織からの拘束が緩い資格職業などでは髭を伸ばした人間の比率が高い傾向にある。ゆえに髭は会社組織から縛られていないというある種の記号として認識されることがあるのだ。

 医者に関しては、前述した通りだが、昔は聖職者の範疇だったので、剃髪し髭を蓄えるというスタイルであったらしい。

 現代では分断された小集団において、髭の処遇が異なる。多くの場合否定的だが、時に肯定的に捉えられることもある。

 医者の服飾学というのはあまり真剣に議論されているわけではないが、中世の聖職者の系譜とホワイトカラーとしての系譜とが混在している様に思う。ケーシースタイル対背広型白衣というのもそうであろうが、ヒゲの処遇もその考え方によって異なると思う。
 

 と、高所から見るような話はさておき。

 毎日ヒゲを剃るのってやっぱり面倒くさいと思う。毎日毎日生えてくるものを毎日毎日しっかりと剃るのは果たして本当に必要なことだろうか、などと不精な僕はいつも思う。

 ともあれ、今日も髭をそる。庭の芝生を毎日刈りそろえておかなければならないようなものだ。
 ゴルフでいえば、フェアウエイでなければならない。

 ラフではだめなのだ。

 ああ、面倒くさいなぁ。
 え?
 女の方が大変?
 女は竜安寺石庭みたいにしないといけないって?

 そうだね。失礼しました。


 だけど、女性の場合は髭(濃い場合に限るが)は100%不要毛だ。それなら悩まずにすむ。男の髭は要毛にも不要毛にもすることが出来る。だが、決めたらその路線で整えなければならないし、鏡の前で迷ったりするのは我が事ながら馬鹿馬鹿しい。

 ちなみに要毛か不要毛で悩むのは、僕は結構髭が濃く、また髭を生やしてもそこそこ似合っているからである。濃い髭で不要毛というのはなかなか厄介なんですよ。   



(May 2002.Dec 2003 初稿 Apr 2004改稿)