アダラート舌禍:



 アダラート(一般名はニフェジピン)という降圧薬がある。

 かなり古くからある薬だがその作用は実に強力である。180mmHgくらいある血圧も1錠飲めば直ちに(それこそ1時間もしないうちに)130mmHgくらいの正常値に降下する(※)。これほど明らかに強力な作用を示すものは他にはないので、とりあえず高血圧緊急状態に下げる薬としてこの何十年ばかり頻用されている。以前は「高血圧時にはアダラートカプセル舌下」という風に機械的に使われていたものだ。

 ところが確か10年ちょっと前、緊急時のアダラート投与は必ずしも血管イベントの悪化を防げず、それどころか急激過ぎる降圧が時に有害であることがアメリカで言われ始めた。しかも舌下という投与形態は薬物動態に不確定要素をいたずらに増やすだけで大した意味がないことも。

 当初は循環器のDrだけが知っていたこの知識も次第に流布し、JSH高血圧ガイドラインを経てついには薬剤添付文書にて正式に禁忌事項になるに至った。

 僕の生活と重ねて思い出してみると、臨床に触れ始めた学生の頃、この知識はまさに「海の向こうの知識」に過ぎなかった。循環器のDr.が「まぁ、最近はアダラートの舌下はアメリカではいかんってことになってるらしいけどね」といいながらやっぱり緊急時指示として出していたし、それ以外の科では当然のように高血圧時の処置のファーストチョイスであった。

 最終学年に配属された市中病院では循環器以外のドクターにもこの知識は広く知られていたが、それはともかくこの処置は続けられていた。だが、一部のアメリカ文献至上主義ドクターは使っていなかったし、このころは循環器のドクターは積極的には使っていなかったと思う。

 研修医になった頃は上の先生からアダラート舌下をしなさいと指導されることはなかったし、先輩のDr.からはやんわりとやらん方がいいと指導された。このころにはもう「広く実践される知識」になっていたわけである。しかし外科病棟ではやはり当然のように高血圧時指示として約束指示として書かれていたし、救急外来で「今までやっていてラクになったから」という理由で望む患者がいれば処方をした。

 薬剤添付文書に記載されたことでついにやって良いことが悪いことにひっくり返った。これが最終段階で、今では平気でこの治療を指示するDr.は時代遅れのそしりを免れ得ないだろう。

 医学生から医者になる経過のなかで、はじめは一部にしか知られていなかった知識が次第に普及して常識になっていくさまを傍観したことになる。これはEvidence-Based Medicineの一つの勝利であるのだろうし、それを体感出来たのは僕にとっては貴重な思い出なのである。
 

 私は島根赴任時代New England Journal of Medicineを個人で定期購読していたわけだが、それからも窺えるとおり、私こそがアメリカ文献至上主義ドクターの類なのである。もっと悪くいえばアメリカかぶれドクターなのだ。

 そんなわけで当然アダラート舌下の弊害はちゃあんと知っていた。頭でっかちの研修医生活の頃は外来でアダラートをせがむ患者さんがいてもそれこそ一時間説得したりしてでも使わせなかったのだが、実は最近宗旨替えをして、時々使うことがある。

 それは老健施設、もしくは超高齢者の場合。もしくは患者が何らかの治療を望んだ場合。

 老健施設の寝たきり患者さんが、血圧220mmHgだという。いつも180mmHgくらいの人で、自他覚的にはいつもと変わりない、と看護婦さんからコールがあった。 さて、どうする?

 僕がベストと思っているのは薬を出さず経過観察なのであるが…

 ただ、老健施設はマンパワーが足りない。担当の看護婦さんは何十人の入所者を一人で管理せざるを得ず、医者が何も薬を出さず様子だけ診ろというのは見捨てられたようでなかなかつらい。

 介護施設の特殊事情もある。施設側としては余分な薬剤出費は出来るだけ抑えたいということもあって、無投薬というのは施設にとって都合がいいのだが、これは逆に家族の側からすると施設側の利益誘導にとられかねないのである。

 熱心な家族の方が、毎日入所者さんの所に面会に来る場合、そういう人が「血圧が高いんですけど…」という心配を医者にもちかけて、「いや、降圧剤は要らないし、むしろ有害なんです」ということを説明しても、理性では理解はしてくれる。だが、感情の面では無投薬と聴いてしこりが残ることもある。少なくとも家族が「投薬しないのは施設の金銭的都合なのでは…」という疑念を抱いた場合、これを晴らすのは非常に難しい。

 それに、現在、こうした投薬が推奨されないということを理解してもらえることはたやすい。だが、逆にいままでこうした治療をなぜ漫然と行ってきたかを説明することは難しい。今まで当たり前にやって来たことを「いや、最近の結果ではむしろ良くないんです」と一言で済ますことは簡単だが、それは受け入れがたい事実であるし、そのほか今やっている医療に対する信頼自体を揺るがしかねないのである。

 それに治療をするとなると老健施設では治療は限定される。注射もないし(あればペルジピンなども選択肢に上るところだが)また老健施設などでは薬剤費も無視できないファクターになってくる。また、一旦出すと決めれば、何しろアダラートカプセルは滅法安い。医療経済的に診るとアダラートのこのメリットは無視できない。

 なんだかんだ言っても20年くらいはファーストチョイスでバンバン使われていた薬である。この治療が決定的にデンジャラスである治療なわけはないのだ。ニトロ製剤が狭心症等に関して必ずしも長期予後を改善しないのに依然使われている事実を考えればアダラートのこの不当な評価にはより高い薬を使わせようという製薬会社の陰謀すらあるのではと僕はちょっと疑問に思っているのである。

 さて、大抵は一錠内服させることが多いのだが、老人であれば一カプセル内服はちょっと効き過ぎるような気もしてちょっとおっかなびっくりである。半分にしようか…

 内服出来ない人もいる。患者さんが嚥下困難だったら?胃瘻患者だったら?痴呆がひどくて薬をぷっとはき出してしまう人だったら?

 こうした諸条件を考慮した場合、時と場合によってはアダラート1/2C舌下という禁じ手はなかなか妙手のこともある。これは確かにEBM原理主義者からみると堕落といえば堕落なのかもしれない。カルテ上ではこの熟慮は見えてこないし、一月後に別の医師がカルテをみた時に「ダメドクター」と思われることも覚悟しなければいけないし。

 でもアダラート舌下がベターチョイスである時だってある。今の僕はそう思っている。

 苦渋の選択。答えは決して見えてこないけれど。

 アメリカの物差しで日本を測るのは決してたやすいことではない。確かにアメリカの教科書はデータも揃っているし、簡潔に良いことが書かれているのだが、国民皆保険制度のため医療費の負担をあまり気にしなくて良いというのは、逆に言うと薬を出すという行為について、アメリカとはまったく立脚点が異なるのである。薬を出し惜しみすると、損に感じる患者が実に多いので、アメリカのような単剤を十分量出す医療は難しい。それに、そういう治療が必ずしも高度かというと最近はそうも思っていない自分がいるのである。

※勿論

 疾患や個人差で下がり幅は異なります。

(2003.Sep初稿)