田舎のお見送り:


田舎で暮らすということ その7

死について その9



 高齢者が入院すると、治ることもあるけれども、治っても寝たきりになることも多い。そして、あまり頻繁に会わない家族が久しぶりに会うと、その変貌ぶりに非常に驚かれることがある。

 

 医療者の間では常識ですが、医療に関するミスリーディングの多くは患者に最も近しい存在ではなく、やや遠方の家族によってもたらされることが多い。

 わかりやすい言い方をすると、都会に出てしまった息子夫婦が爺さんの病状悪化を聞いてやってくる、と。そうした時に「どうしてこんな状態になっているんだ!」と感情を損ねられる、と。

 なぜそのような誤解に至るのかというと、徐々に進行してゆく衰弱の過程を経ずに、いきなり見せられる衰弱した状態は相当ショッキングなことが多い。ま、当然で、我々は高齢者を見慣れていません。現在我々が置かれている社会では、そもそも高齢者に触れ合う機会が制限されている。衰弱の経過は、病院とか施設に押し込められて社会に剥き出しされることは少ない。

 核家族化が進行した現在、家庭にも高齢者が常に居るという状況はまれになりましたし、高齢者にとっては普通に会社勤めをしている人々の生活空間は過酷すぎるので(例えば通勤電車)そういう所で生活をしている人にとっては高齢者は存在しないも同然です。

 初めて見た、そういった衰弱していく高齢者が自分の親だったりしたら、それは冷静な感情を働かせられなくても無理はないように思います。

 

 以前に赴任していた島根県では、そういう状況はあまりみられませんでした。

 島根ははっきり言って、田舎です。超高齢化社会でもあります。

 人口流動性も低いので、例えば70歳80歳になっても、子供の頃からの同じ町内の幼なじみだったりするわけで、実際「山ちゃん」「長吉っつあん」のような子供時代からの呼び名で呼び合ったりしているわけです。すなわち、町内の結束は非常に固い。

 田舎の場合、何代か遡ればどこかで繋がりがあったりするので、友達関係と同時に何らかの親戚関係だったりもします。

 そういう人がひとたび入院したりすると、町内の仲良しが見舞いに来たりします。夜中に病状の急変などがあれば駆けつけてきて枕元にずらっと並んだりするわけですね(ま、大体みんな呑んでますから、赤ら顔で酒臭かったりするんですが)。

 亡くなられると、有線放送で、誰それが亡くなって葬式が何時からあるというのが流れます。そこでは、基本的に町内で葬式があれば、出席するのが当たり前でした。

 

 高齢者の比率が高ければ、死ぬ人は多い。なおかつ、町内の結束が固いために、他の家族の葬式に出る機会も非常に多い。ゆえに、一人の人間が経験する葬式・死というのは、都会の生活とは比べものにならないほど多くなります。

 多いものには、人は慣れます。

 僕の赴任したこの田舎では、死は日常のサイクルの一つに組み込まれていました。それゆえにここの人達の死の受け入れも、従容としたものが多かった印象があります。もちろん肉親の死が感情的に受け入れがたいのは、田舎の人も都会の人も同じです。しかしやり場の無い感情を医療側への恨みに転化させるようなことは比較的少なかったように思いました。


お見送り


 そういえば、この地方での特長として、亡くなられた人が家に帰るのに、葬儀会社の車ではなく、自家用車で帰られることが非常に多かったです。

 通常、病院で患者さんが亡くなられますと、まずご遺体は自宅に連れて帰ります。最近は賃貸住宅であれば、遺体が住居に入ることが嫌がられるというのも都会ではあるようですが、病院の側から見れば、ともかく病院を出るということです。

 最終的に火葬場へ行く際には「お寺」のトランスフォーマーのような、皆様よくご存じの「霊柩車」で行くわけですが、それ以外の移動は霊柩車ではなく、割とおとなしいデザインのワゴン車のようなものが用いられるのが殆どです。

 これは葬儀会社のワゴン車なんでしょう、後部は寝台(ストレッチャー)を出し入れしやすいようなレールが設置され(この機構は救急車のものと同じ)て、ご遺体の乗り降りがスムーズなようにしてあります。

 亡くなられると、看護師さんが死後の処置をします。それが終わると、葬儀会社の方が持ってこられたストレッチャーへ乗せます。このストレッチャーには絹のような白いさらさらのおふとんがのせられ、さらに真っ白な布で出来た寝袋みたいなものの中に入れ、ご遺体をくるむようになっています。

 この後は医療者である我々はよく知らないのですが、湯灌とか、納棺などを行うはずです。いずれにせよ、葬儀会社の人が中心となって行われます。

 ところが、前居た島根の地方では、患者さんが亡くなられた場合は、家の人が自分の車でご遺体を運ぶというのが割と多くみられました。

 死後の処置が終わりますと、家族の人が持ってきた毛布にくるんで、病院の普通のストレッチャーに乗せて出口へ運びます。(ちなみに、亡くなられた場合の出口は大抵、病院の裏口の目立たないところにひっそりと作られていることが多い。)

 そして、運ばれたご遺体はご家族の方が持ってきた車の後部座席に乗せられます。

 大抵ワンボックスとかワゴンとか大きめの車が多かったように思います。おそらく、親族の車の中で一番適切なものを選んでいるせいでしょう。時折、「お前の車が一番大きいから頼むわ」と言われたんでしょうか、若いにーちゃんのヤンキー仕様のワゴンとかも見かけました。もちろんそういう場合、持ち主の若者は「えーなんで俺がー」みたいな顔をしていました。

 ご遺体は荷物ではありませんから、例えばサーフボードのように、無造作に放り投げるわけにはいきません。車が揺れて、席から落ちても困るわけですし。

 というわけで、後部座席に一人か二人が座って、横たわったご遺体を膝で抱きとめるといった格好になります。

 勿論、毛布だって普通の毛布ですから、人一人を頭から足まで完全にくるむのは難しいです。シングルサイズの毛布はそんなには大きくない。大柄の人であれば頭や足の先がちょっと見えていたりすることがよくある。薄気味悪いといえば薄気味悪い。

 それに、ドアを閉めようとして
「…あれ?閉まらない……
 あれ?(ゴン)
 あれ?(ゴン)
 あっ!

 じいちゃんの頭がちょっとつかえてた!(失笑)」

 みたいな、コントのような事も時々起きる。(こういう場合はちょっと折り曲げたり、斜めにしたりして、何とか後部座席に収める。)

 

 どうしてこの地方で、このような「セルフお帰り」方式が多いのかはわかりませんが、おそらくは経済事情も関係しているのではないかと思います。お葬式、なんだかんだ言ってお金かかりますから、削れるところは削るほうがいいんでしょう。先ほど述べたとおり、皆葬式に関してはベテランですから、金を掛けるべきところと節約するべきところは、都会の顧客よりは詳しいんでしょうね。

 最初にこれを見た時はかなり衝撃を受けたものの、その地方を離れた今では、亡くなられた自分の家族を抱きかかえて帰るのは、故人との最後の別れの一つとしては、それほど悪くないことのように思います。

 町内の友達も居て、みんなでわっしょいわっしょい車に載せて、抱きかかえて帰る。むしろ情の通った感じさえするんです。

 やはりね、葬儀会社の車で、折り目正しくされたご遺体は、「亡骸」という物体感が強いんですよ。でも自分の車で、家族に抱きかかえられてお帰りになるご遺体は、まだかなり「生身の人」感が残っているんですよね。

 どちらが正しいのかは今の僕にはわかりませんが、残念ながら自分はこの地方の人間ではないので、もし自分の両親が亡くなっても、こうした濃密な帰宅はできないのは確かです。

 あ、そういえば、さすがにタクシーの後部座席に乗せて帰られる方はさすがにみたこと無かったですね。