不老不死:

ふろう・ふし【不老不死】
永久に年をとらず、永久に死なないこと。

 我々は中国の成句である「不老不死」という言葉に慣れすぎてはしないか。

 この語句のせいで「不老」と「不死」をつい漠然と一対のものとして扱う習慣がついているが、ちょっと考えてみれば自明のことで、「不老」と「不死」とでは意味がまったく異なるのである。不老とは老いないこと、不死とは死なないこと。若者にとってはどちらも無縁であるという点で等価かもしれないが、いざそういう立場になってみるとそれは全然違うのである。

 おとぎ話などの非現実的な話ならともかく、生体にとって「不老」と「不死」とは実は対立する概念ではないか。

 癌などの不死化した細胞を除けば、生体の細胞は分裂する回数が決まっている。30回か40回細胞分裂をした後は(テロメラーゼによって)それ以上分裂することができない。これをヘイフリックの限界というのだが、逆に言うと活発に細胞分裂をすればその分残された時間を縮めることになる。

 「新陳代謝を活発にし、細胞を活発に活動させる」っていうくだりは美容(つまり不老)に対する金科玉条と考えられているふしがあるが、本当にこのようなメカニズムが美容にいいかどうか。
 若い頃は新陳代謝が盛んである。これはエネルギーの取り入れと排泄が活発で、代謝回転が早いということなのだが、もしこういう状態が長く続けば寿命自体はむしろ縮まると考えた方が自然ではないか。分裂できる回数が決まっているなら、早く細胞分裂を繰り返せばその分寿命を使い果たしてしまうのではないだろうかと危惧してしまうのだ。

 つまり不老、つまり若さを保つということは逆に言うと早逝と隣り合わせなのかではあるまいか。


 一方の「不死」に関して言うと、細胞レベルでの不死化は達成は確認されているものの、不死化を獲得した細胞というのは端的に言えば癌細胞である。これは死よりもひどい別のものになったと考えた方がよいだろう。個体レベルでの不死化は夢のまた夢である。

 現在の科学では相変わらず「不老不死」というものは理想に過ぎない。というよりは机上の空論といってもいいかもしれない。ただ、不老不死の非現実性は「不老」にあるのではなく「不死」のためであると考えた方がよい。限定付きの「不老」ならそこいらへんに時々いる『中年なのに未だに美しいままの女性』をみればある程度達成できているのがわかる。
 
この文章はあまり具体的な話ではありませんが、
酸素バーの話
薄毛論へ続きます。