深夜の廊下にて


—病棟素描


 まだ仕事が残っていたが、いい加減お腹が空いてきた。夕食を食べに外へ出、食事を終え病院へ戻った。

 消灯後の薄暗い廊下で、患者さんに出会う。

 

 遭ったのは一階にある喫煙所の近く。片手に100円ライターと煙草を持って。
 いかにも「寝る前の一服」という感じだ。

 彼は食道癌の治療で入院している。
 おまけに肺気腫もあって、呼吸状態はそんなによくない。
 しかし、あまり医者の言うことを聞かず、今も煙草が止められない。

 軽く会釈をし、「煙草はいけんよ」と注意をする。照れくさそうに笑い、一緒にエレベーターに乗り込む。

 医局は3階にある。3階のボタンを押す私に、

 「……子供さんでも産まれなさったかんかい」という彼。

 ?

 3階には医局もあるが、婦人科病棟もある。どうやら、彼は僕の事をそこの面会人と思ったらしい。そういえば、食事を終えて帰ってきた私は当然白衣を着ていないことに気づく。

 白衣効果というのは間違いなくあって、逆に白衣を脱ぐと医者だと気づいてもらえないことはしばしばある。「いかにも医者顔」っていうものはないわけだから。

 顔、覚えてもらってないのかなぁ…とすこし複雑な思いをしている僕は、気まずいのが嫌で背後に居る彼の方に顔を振り向けられず、エレベーターの回数表示をじっと見上げているばかりだ。

 ただ、背中越しに彼の少し咳いたような、普通の人よりも少し速い呼吸の音を聴く。ひゅるう、ひゅるうと枯れたかすれた音がする。

 

 エレベーターのドアが開く。空調が利いた冷え冷えとしたフロアに一歩踏み出す。

 彼は4階へ行く。二人とも何も言わない。聞こえるのは、彼の呼吸音だけだ。

 おやすみなさい。背中越しに私は心の中でつぶやく。彼が息を吸ったところでドアが閉まる。

 明日、白衣を着て会う私に、彼はどう言って呉れるだろうか。

(Jun,2003 初稿 Oct,2006 改稿)