日記が書けなくなった話:


—ベッドサイドの話 1


 先日外来に「自分は痴呆ではないか」と思い悩む女性が来た。


 高血圧で私の外来にずっと来ている方だ。血圧は少し高めだがそれ以外にはあまり問題点はない。どちらかといえば健康で、平均年齢を超えているのに耳もいいししっかりお話が出来る。

 その方がある日ちょっと深刻な顔をして私に相談するのである。
 物忘れが激しくなった。
「おばあちゃんは馬鹿になった馬鹿になった」と家族に言われる。

 自分ではよくわからない。

 でも、日記が書けなくなった、というのだ。
 

 彼女は30年来日記をつけているらしい。何でも50代に大病を患い後何年も生きられないと宣告されたというのだが、それをきっかけに日記をつけるようになった。当初は闘病日記のつもりであったが、幸いにしてその病気は彼女の命を奪うことはなかった。そして快癒した後もそれは彼女の日課となって残った。

 しかし最近は、一日が終わり日記を書こうと文机に向かっても何を書いたらいいのやら、さっぱり思い浮かばなくて、書けない。ということであった。

 平均年齢はとうに越えている方である。話している分にはあまりおかしな印象はないし、文字も書いてもらったが、書字はすこし字がふるえる程度でしっかりした字を書く。僕の書きなぐりカルテと比べたらずっと綺麗なぐらいだ。そう言うと彼女ははにかんだように寂しく笑った。

 家庭的にもあまり問題はないとのこと。念のため行った長谷川式痴呆スケールは21点。引き算もできるし、記銘力もこちらから助け舟を出すとなんとか思い出すことが出来る。

 

 ぎりぎりではあったが、長谷川スケールの点数を拠り所に、現時点では心配要らないから大丈夫ですよ、と説明する。「そうですか。それならいいんですけどねぇ…」と帰宅した。こういうとき客観式テストというものは説得しやすいので便利だ。

 が、
その後家族の方と別の時間を設けて相談した。

 日常生活から推測するに、物忘れの程度はやはり経年的に見ると明らかにひどくなっているのは確かなようだ。家族の人が見てもどうも最近危なっかしいところがあるのだ、という。

 本人に言ったこととは違って、
・現時点では明らかな痴呆とははっきり言えない、しかし今後進行して明らかに痴呆といえる状況に陥ることは残念ながら大いにありうると思う。
・しかし本人にそれを自覚してもらう必要はないように思う。痴呆への恐怖は大変なストレスであり、抑欝的にもなりかねない。
・ただ、サポートする我々としては最悪の事態にも対応できるよう、痴呆を前提として対策を練る必要がある。やはり社会的なサポートが便利であるし、具体的にはまず介護保険の申請を薦める。

 という由を説明した。

 時間は掛かったが現時点での問題を診察と説明で解決できたのではないか、と勝手に自己満足し、家族が帰った後、椅子に深く体を沈め、溜息をついた。


 だが、日記が書けないというのはなぜなんだろうか。
ともあれ、「日記が書けなくなった」という訴えは実に興味深いと思う。

 痴呆(もしくは物忘れ)というのは静かに我々の脳を浸食してゆく。たいてい周りが気づく頃には殆どまともな生活が遅れなくなっていたりする。逆に言うとそこまでひどくならないと周りは気づかない。

 今回の事例では「日記を書く」というかなり高次の精神作業のおかげで、痴呆の起こり始めの軽い段階を捉えることが出来たのかも知れない。痴呆というのは本人にとっては結局相対的なものであるから。

(尤も、軽い段階で気づいたところでそれを防ぐ効果的な薬はあまりないわけだが。アリセプトくらいか。気休めだな。この方の場合、あまりユーフォリックでもなく、アルツハイマー型の特徴は呈していない。Vascular

 risk factorもあり、脳血管性の痴呆ではないかと考えられた。)

 また、別の考え方もある。痴呆が原因というのもあるだろうが、正常な加齢でも物忘れはやはり激しくなる。物忘れという事実はプライドをいたく傷つけ、それが自我に対する危機感と焦燥感につながっているようでもあり、日記を書けない直接の原因は抑鬱症状による意欲減退なのかもしれない。

 そこらへんの鑑別というのはなかなか難しそうだった。



   私も時々日記が書けなくなるが、30年続いた日記が書けなくなるというのはどんな気持ちであろうか。私などの苦しみの比ではなかろう。
 
 その後私は10月に他所に赴任して行ったので、この方がどうなったかはわからない。だが、平均年齢を越えている健康な女性に待っているのは、緩慢な死か、死の前の緩慢な自我の死、即ち痴呆、もしくは急激な死のいずれかであろう。酷薄な書き方しか出来ないが、現実である。

 長く苦しみの多い生にこだわる必要はないと思う。たとえ短くその後に死という付帯物が付いていてさえも、幸せな生が一番だ。今彼女が幸せな生活を送っていることを願いつつ、筆を置くことにする。

(初稿 2002年9月日記

 改 2003年1月)