ラストまでハッピー:


医者の風景学—医者とカルテの話

—ベッドサイドのお話  2

 医者はドイツ語が堪能であると、一般に理解されているらしい。


 確かに、学生の頃から、そんな質問をよく聞いた。
 医学部以外のクラブの友達から「医学部?じゃぁ、ドイツ語とかも話せるの?」

 とか、言われたりしたことは何度かあった。

 あんた、医学部生はスーパーマンみたいに思ってるだろ?だって僕、先週からこの部室でだらだらしてるやん。あんたと一緒に同じくらいの時間練習してるし。それで、どこをどうすればドイツ語ペラペラになる時間があるの?


 

 医学部はドイツ語。これは間違い。少なくとも現代においては完全に間違い。

 確かに戦前、それから戦後まもなくは医学と言えばドイツ語であった。それは日本がドイツから医学を輸入したためである。日本だけでなく、確かに当時の医学の最先端はドイツであったようだ。その頃勉強をした世代の医師は確かにカルテをドイツ語で書いていたりする。

 だが、それ以降の医師のほとんどはカルテを日本語か、横文字にしても英語で書く。もう第二次世界大戦が終わってずいぶん経つので、大きい病院にいる勤務医のほとんどは新しい教育を受けているので、基本的にドイツ語の読み書きなどできやしない。

 君の主治医の書いた文字が読めないのは、彼がドイツ語を書いているからではなく、単に字が汚いだけである。


 とはいえ、医者の間でドイツ語が全く滅んでしまったわけではない。

 医者同士が患者さんの前で病状とかの話をするとき、患者さんにあんまり聞こえて欲しくないこともある。癌だとか、悪性とか。そういうとき、僕らは、英語・ドイツ語単語を使ったりして誤魔化すわけだが、例えば、
 「ルンゲ(肺)のトゥモール(腫瘤)が、レバー(肝臓)にメタ(転移)している可能性はないのかね?」

 と、こんな具合だ。決して僕らも英語が出来るわけではないので、単語だけ置き換えるのだ。この様な言葉遣いをMedical-Jargonと呼ぶ。

 なんだか小林旭の「自動車ショー歌」のようだ。それにバカみたいだ。

 又、年代が上の医者はドイツ語の語彙が豊富で、ドイツ語を多用するあまり、聞いている僕らがちんぷんかんぷんだったりする。

 で、このまえうちの名物内科部長(※)は、回診でこう言った。

「だから、ディスペイシェント(英)の場合、パンK(膵癌;ドイツ語)で、プログノーゼ(予後:ドイツ語)はシックスマンス(英語か)というところだから、●○やこー(など。岡山弁)を使って、ラストまでハッピーだったらいいんじゃない?」



せ、先生

 「ラストまでハッピー」は符丁になってないっす。



(※)彼が優秀な医師であることは教えを受けた私が弁護する。いつも平常心な彼は医師の特殊性に拠らない人格を持っており、それ故に地に足のついており、「聖職者にありがちなうさんくささ」がない。がそれ故に「聖職者としての医師人格」に関し無自覚なきらいがあるのである。



(初稿2002.5.8 日記  2003.May改稿)