背中の記憶:


—ベッドサイドのお話 3




 外来での、あるおばあさんの話。

 この方がどんな病気であるとか、どんな人かというのには今回触れない。それはあまり重要なことではないからだ。

 やせ形で、腰は完全に曲がっていて、いつも嫁さんに手を引かれてよろよろと外来に入ってくる。なんとか歩けているが、大風邪でもひけば駄目だろう。



 診察室に入ると、まず診察用のベッドに横になってもらって診察し、胸腹を聴診すると同時に血圧を測る。血圧計で測っている間に机に向かいカルテ記入をする。血圧の値が出たら、今度は僕の傍らの椅子に座ってもらう。僕は、どんな方でも大体こんな手順で診察している。



 で、この方の場合、僕が椅子に座ってカルテを書いている時に、僕の座っている椅子の背もたれがカタカタカタと震える。

 僕の背中は僅かな震動を感じる。

 この方、極度に曲がった腰のせいか、椅子に座るときには何かにつかまらないといけないのだが、僕の椅子の背もたれをその支えに使うのである。老人特有の細かいプルプルプルとした振戦が背中越しに伝わってくる。この人はいつも決まってそのやり方で椅子に座る。振動が始まると座り始めの合図であるし、振動が止まると「座り終えたのね」と背中で感じるのである。


 私が背中にこの様なプルプルを感じるのはこの人の場合だけである。だからいつしかこの人のことを「背中プルプルの人」と認識するようになった。

 失礼な話だが、何十人と診ているとおじいちゃん・おばあちゃんは顔で見分けがつかないことがある。この方もそうで、診察室に入ってきた時、一瞬「えっと、誰だっけ」と思ったりする。

 だけど、聴診したあと、くるりと背中を向けてカルテを書き出し、背中がプルプルしだすと、「ああ、この人か」と、いろんなことがすらすらと思い出されるのである。

 というわけで、「背中プルプルの人」と僕は認識しているのだが、時々医者はそういった「変な」おぼえ方をすることがある。

 僕の患者さんには、他にも、
 リリーフランキーの描くイラストにそっくりな人とか
 ピップエレキバンが好きな人とか
 鼻がすごく大きいとか
 いつも別珍のズボンを着ているとか、
 Bulovaの時計をしているとか、

 全然病気とは関係ないキーワードで憶えられている人がいる。

 そういう人はそれなりに他の方よりは「キャラが立っている」わけだが、いつもと違う格好だったりすると、もうわからない。他の大多数の患者さんに埋没してしまうのかもしれない。


 外来というのは決して楽しいものではないが、そうやって色々な患者さんを診る間でそういった面白い部分を探すのが密かな楽しみだったりする。時々カルテに書いたりすることもある。

 

※後日談:
 件の「背中プルプル」さんは残念なことに僕が転任する少し前に転倒して腰椎圧迫骨折を起こしてしまい、半寝たきりとなって整形病棟に入院してしまった。もうあのプルプルはなく残念であった。
(初稿 2002.6日記 2003.June改稿)