はじめは優等生だった:


—研究をするに際しての苦悩(その1)



 2003年、7月。
 さて、研究というコースに進んでは見たものの、多少後悔と不安感が入り交じっている。

 なぜなら、僕は頭が悪い。

 少なくともここ数年間はずっとそういう気持ちが途切れたことがないのである。

 もちろん僕にもプライドはある。自分より頭が悪い人間など山のようにいることなど知っている、今でも。たぶん、僕より頭のいいやつよりも頭の悪いやつの方が多いのではないかさえと思っている僕は基本的には傲慢な人間だ。

 これはこんな傲慢な僕の、挫折の物語である。
 
 僕が傲慢なのは小学生の時分からであった。

 しかし今から思えば、そのころの僕は傲慢であるのも無理もないほど「頭の良い」子供であった。学校のテストで100点以外をとる方が少なく、塾のテストでも出来が悪くて県内で10位。全国模試で一桁台だったことも一度あった。そんな僕は塾の教師のすすめるままに中学受験を受け、神戸にある某有名進学校へ入ることになった。中学一年生から親元を離れての下宿生活である。

 しかし平たく言って某有名進学校での僕は落ちこぼれ寸前だった。親元をはなれ開放感でたががゆるみ、周りには賢いやつがうじゃうじゃ居る。プライドが傷つくのをおそれた僕は、激烈な競争に参加する以前に勝負を降りた。受験勉強に100%の力を傾注せず、そこそこ手を抜いたそこそこの成績で地方国立大学の医学部に入学することになった。

 大学に入学して一、二年たって突然悟った。

 僕は頭が良くない。少なくとも頭だけでやっていけるほどには、と。

 そのころの僕は医学部の連中とはあまり関わりを持たずもっぱらクラブで日々を過ごしていたのだが、図抜けた才能というものを幾人か目の当たりにした。総合的には非常にいびつな破綻しているキャラクターでありながら、ある特定の分野に関しては圧倒的な才能を持つ人間というのが何人かいたのだ。

 そういう才能の輝きを見ると、逆に自分にはそういう光が無いことがよくわかった。自分はそういう神に選ばれた人間ではないのだ。分野は違えど、才能の輝きという本質は同じである。「元天才少年」だった僕は、そのころようやく自分の非天才性を認めざるを得なくなったわけだ。

 数ヶ月の苦しみの末、私はある結論に達した。

 僕には一流の才はない。その代わり弱点をなくし、二流の才を磨こう、と。

 たった一つ、スペシャルな才能があれば一点豪華主義の人生がおくれるかもしれない。しかし、そのような才能がないかわりに、学問、文学、音楽、運動などいろいろな分野に通暁した教養人というものはどうか。一つ一つは二流かもしれないが、そういう細々としたものが集まったいわゆるルネサンス的人間になるのは人生の目標として申し分ないではないか。

 そういう風に決めてしまうと得心が行き、私の心は安定した。

 それ以来、あまり選り好みをしないようにと心掛けている私がいる。

 人と出来るだけ関わりを持つようにし、服装にもそれなりに気を遣い、ブランドなども覚え、料理も練習した。スポーツなどもたしなむ程度に楽しみ、何にでも興味を持つようになった。

 そうしてみると、案外人生も悪くない。
 どうせ、死ぬまでの暇つぶしなのである。

 そして僕の口癖は「なんか面白いことないかな〜」になった。


   幸い臨床医には全人的な勉強というのが必要だったりするので、この生き方は案外この職業に向いている。職業というのを見据えた私の中の内なる声が導いたのかもしれない。
 

 あまり語りたくもない僕の挫折を語ったわけだが、私が多趣味に見えるのはそういうわけです。

 昔は頭さえ良ければ他は何も要らないと思っていたし、才能のない人間は「踏みにじる」ために存在するのだと思っていた。
 今では何の根拠もなくそういう風なことを思っていた頃の鼻息の荒さを懐かしく思いだすこともある。
 

 問題は 研究というものは本来一つのことに突出した才能を発揮する人間のためにあることだ。つまり僕は今まで培ってきた自分の生き方に対して再考を迫られている、これがもっぱらの僕のなやみだ。

 過去何年間もかけて修正してきた私の生き方を、どのように変えたらよいか。

 そして、自分に才能があることを信じられなくなっている私は研究というものを楽しく営むことが出来るだろうか。



(2003.7初稿 9月改稿)