酸素バーについて:

 酸素バーってどうなんだろうか。

 僕は入ったこともないし、見たこともないのだが、新鮮な酸素の吸入サービスを行う場所の事らしい。

「新鮮な酸素を吸うことで体の細胞を活発に活動させ、健康・美容を維持するとともに仕事やストレスで疲れた体や頭をリフレッシュしてくれるなどさまざまな体に良い効果を与えてくれます。

アメリカではお酒を飲むバーのようなカウンターで雑誌や新聞を読みながら気軽に酸素の吸引を行う事から「酸素バー」と名付けられました。」

 とのことだ。

 新鮮な酸素って? 電気分解したてってこと?というツッコミはさておき。

「新陳代謝を活発にし、細胞を活発に活動させる」っていう記載は美容を『科学的に』言及する文章には必ずといっていいほどみられるわけだが、それが本当に実態を表しているかは甚だ疑問である。拙文:不老と不死を参考にして頂きたい。

 確かに若い人は新陳代謝が盛んで、細胞も活発に活動している。そしてそれゆえに若い人の肌はつるつるすべすべである。しかし年をとってから新陳代謝だけを活発にしてもすべてが若い状態に戻るというのは楽観的予測すぎやしないか。

 そもそも原因と結果を取り違えてはないだろうか。若いから肌がすべすべ。若いから新陳代謝が盛ん。では新陳代謝が盛んでありさえすれば肌がすべすべなのか?年を取ってから新陳代謝を盛んにしてもお肌がすべすべになるのではなく、むしろお肌の寿命を短くしてしまいはしないか?

 

 そもそも酸素っていうのは本当に体によいのだろうか?

 酸素は非常に高エネルギーな反応を引き起こす。とにかくあらゆる物質を酸化させるポテンシャルをもっているのが酸素なわけだし(「酸」素なのだから当たり前だ)、そもそも我々の遠い遠い先祖にとっては酸素は猛毒であった。過剰な酸素は生体の中では酵素反応以外の(いわゆる化学で習うような)有機化合物反応を惹起してしまう。酵素を触媒としたゆるやかな化学反応を行っている我々の体を、酸素はお構いなしにずたずたにしてしまう。

 生体にとっての酸素というものは、たとえてみると我々にとっての原子力のような危険極まりないものなのだ。生物史を学ぶものにとってこのことは常識である。

 現在我々真核生物は酸素を用いたTCAサイクルを使って莫大なエネルギーを得て生体の機能を維持している。逆に酸素がなかったら我々は嫌気性解糖によって得られるしみったれた量のATPを受け取って細々と生きるしかない。

 もし我々が酸素を使うことが出来なかったら、我々は今でも単細胞の群体のままコアセルベートといわれていた原始の海にぷかぷか浮いて、遠い子孫の夢をみていたのかもしれないのだ。

 石炭と蒸気の時代。

 ある時点で我々は酸素呼吸を導入したのだが、その歴史はあたかも好気性解糖が「必要悪」であるかのように「しぶしぶ」としか思えないやり方で導入されたように見える。
 今でもTCAサイクルは細胞の中のミトコンドリアという小器官の中に隔離されている。

 あたかも放射能マークで隔離された原子力発電所のように。

 もし細胞の一つ一つに極微の小社会を見ることが出来るなら、我々はミトコンドリアをアパルトヘイトのように隔離された差別社会として見ることができるだろう。なにしろ他の人間はすべて細胞の核にあるゲノムDNAで生まれてくるのに、ミトコンドリア族の人間だけは出自が違うのだ。ミトコンドリアだけはミトコンドリアだけの遺伝子をもっていて、ミトコンドリアで生まれ、その外に出ることを許されない。これを差別といわずしてなんというのだろうか。

 これほどまでに好気性代謝は我々の細胞の中で一線を画しているのである。


 我々は電力がないと今の文明を維持できないが、にもかかわらず原子力発電所に対しては良いイメージをもっていない。だが、現実的に明日から日本中の原子力発電所がすべて操業停止してしまうと、我々の社会は、確実に死ぬ。

 我々が酸素に対してとる態度も同じようなものだ。

 

 実際に高濃度酸素が体にいいかどうかはわからない。ひょっとしたらいいのかもしれない。だが、僕が上に述べたように悪いかもしれないのである。すくなくとも我々にとっての原子力発電がいいものか悪いものか判断が出来ないのと同様、僕には判断できない。

 濃縮した酸素は確かにスポーツ後などの一時的な酸欠状態には非常に有効であるのは間違いない。だが、日常生活をしている人間にとって濃縮した酸素を取り入れることが果たして本当に体によいのかは甚だ疑問である。「緊急に不足したものを補給するための治療を不足していない状態に慢性的に使う」というのは『地域振興券』と同じくらいの愚策ではないかと僕は思っている。

 はっきりしたところでは、酸化によって生じるフリーラジカルは生体にむしろ害であることが示されているし(特にDNAに損傷を与える)、我々が深呼吸をするだけでスーパーオキシダントという物質が産生されるらしいが、これは強力な発ガン物質なのである。濃縮酸素は様々な有害反応を起こすのではと予想することは十分可能だ。

 残念ながら、現在ではやや高濃度の酸素を定期的に吸うという治療を施した際の長期的な影響に対するエビデンスはない。

 いいとされている根拠はまったく無いが、逆に私が今日述べたようなネガティブな推測に関しても根拠はないのだ。扱っているレベルがそもそも違うという問題もある。細胞の中のミクロな傾向を個体レベルのマクロな話に敷衍しても、それは理論的には整合性を持たない(にもかかわらず、一見するとまっとうな意見に見えてしまう)ということは常に留意しておかなければならない。たとえば、マイナスイオンの話も然りである。

 存在証明をするにも非存在証明をするにもより厳密な検証が必要で、そういう意味では現在酸素バーを活用している人達は自らの体をもって大いなる人体実験に参加してくれているようなものだ。

 現在の私は判断を保留する。あまり肯定的な展望はないけれども、長期的予後も良好であるという結果がでても私は驚かない。使う、使わないは個人の自由だ。

 だが、現在の時点では根拠がないことは知っている。それを知りながらさも体にいいと思いこませて金儲けをするのはフェアではないと思っているし、自分がそれに乗っかる気はしない。



 一方で「濃縮した酸素」がいいといい、一方で抗酸化物質がいいと言われる。この両者の矛盾を「擬似科学健康医学」もしくは「金儲け主義代替医療」の人達は僕たちにどう説明してくれるのか、知りたい。

 

 いいか悪いかというのは未だ判断していないと私は書いたが、ただ、あなたが喫煙者ならやめた方が良いと思う。

 酸素バーでは火気厳禁ゆえに喫煙御法度なのであるが(そういえば、ERに同様の逸話があった。カーター君と同じマンションに住んでいるおばあちゃんは煙草がやめられないCOPD患者で在宅酸素を使っていたが、彼女のせいでマンションが引火爆発しカーター君は路頭に迷うのである。)それ以外の場所で煙草を吸っているだろう。肺には新鮮なニコチン・タールを初め数百種類の発ガン物質が沈着しているわけであるが、やや高濃度の酸素を吸うとこれらの物質を酸化させ発ガン性が増加したりするかもしれない。もう一度肺の中で煙草を燃やしているようなものではないかというのが私の想像だ。

 勿論これにもエビデンスはない。信じる信じないは好きにしてもらいたい。が、もし僕が恐れていることが真実であった場合、かなりの程度寿命を縮めるかもしれない。リスクが高いということだ。

 また、まさかナルコーシスになりかねないようなシビアなCOPD患者が酸素バーに行ったりはしないだろうな。自殺ものですよ。

(2003.9初稿 10改稿)