Camera Talk:

 もちろんこのタイトルは、フリッパーズ・ギターのアルバム名に対するオマージュでございます。ってそのまんまだけど。

 一応、私も消化器領域の内科医の端くれ、検査というとカメラだ。

 2003年現在こそ、出先の病院で細々とやっている程度であるが、以前は週に二・三日内視鏡の検査をしていたわけである。

 医者同士の中でのカメラのうまさの評価というのは診断の確実さや操作の精度、治療的な手技のゆるぎなさという総合的な技術が重視される。だが、カメラを受ける側の患者にとって評価すべきはほとんどの場合ただ一点に集約される。

 つまり、しんどくない検査を提供してくれるかどうか。
 結局のところ、これ。

 最近の胃カメラはずいぶん細くなっている。(モノによって差があるが、太めのうどんくらいの太さしかない)、我々は食事の時に噛んだモノを飲み込む際、相当大きな固まりでも飲み込むことが出来る。咽頭の開口径とカメラの直径を考えれば、胃カメラが食道に入ることは難しいことではない。

 だが、カメラをうける患者さんにとって一番しんどい所と言えば、やはり喉の通過部分である。喉は平素は緩やかに口を閉じているわけであるし、緊張していればますます力が入る。ただカメラを進めていけば食道に入るわけではない。やはりそこには何らかの技術が必要となってくる。

 この最初の部分だけで患者さんのカメラの感想が決まる、と言っても過言ではないだろう。

 しかし医者同士では内視鏡の総合的な技術を評価しているのに対し、患者側の評価というのはあくまでも検査に対する苦痛の有無で評価が行われているがゆえに、両者の評価に乖離がみられ、誤解を招くことがある。つまり、内視鏡で有名な先生というと、「しんどくなく挿入する技術」に非常に優れている、といった誤解である。

 「有名な先生なのに、しんどかったわ〜」

 イチローだって凡打に終わることだってあるのだ。

 もちろん、これは全くの誤解ではない。そうした達人級の内視鏡医は確かに咽頭の通過に関しても優れた技術を持っており、少なくとも余分な操作で苦痛を増やすようなことはない。だが、不快なところを通り抜けるわけで、カメラの触感は必ずある。それにカメラを怖がるあまり咽頭を緊張させている方の場合、その分カメラが喉を通る感覚は強くなる。

 例えば、指を曲げて筒状にした中に指を入れようとする。軽く握っている手に指を入れることはたやすいが、強く握った手に指を入れようとするのは至難の業である。喉に力が入った状態とは、固く握りしめた拳に似ているのである。
 

 というわけで、どんな内視鏡の上手とはいえど、すべての症例で入ったかどうかもわからないくらいの感覚を毎回やり通せるかというと、そういうところまで期待するのは酷だというものである。

 私は四年目の内科医であり、カメラを握ってせいぜい三年足らずである。腕としては並といったところだ。なんの抵抗もなく飲んでもらうことがほとんどであるが、時々挿入時に手間取りかなりしんどい思いをさせてしまうこともある。

 隣のブースではベテランの内科部長がカメラをしている。(腕は確かです。EISで針と同じくらいの太さの静脈瘤に一発でいれるくらいの)やっぱり挿入時にオエッってなる方、時々はおられるようである。また、僕がしたときに「去年は内科部長先生だったけど、今年はラクだったわ〜」といって下さる方も時々おられるのだ。

 胃カメラを楽に受けられるかどうかは、術者の技量によるところ大であるが、あたかもそれが100%であるかのように錯覚するのは大きな間違いではないかというのが私の持論だ。

 まぁ、野球にしても二割五分のバッターと三割バッターって、数字でみると随分違うけど、統計的にみれば、20回打席に立って初めて1本ヒットの数に差がでるだけだ。意外と実力差ってわかりにくいのかもしれない。

 

 というわけで、施行者の技術ももちろん左右するし、少なくとも施行側の我々は技術を磨くことを怠ってはならないが、やはり相性のようなものも多分にあるのではないかと思う。

  これは患者さんに言ったことはないのだが、僕はある種エッチと似ていると思っている。

   1割の化け物級に上手い施行医は誰とやってもうまくいく。もうそういう人はエッチ業界でいうとAV男優みたいなものではないかと思う。もうどんな人とやっても『いい仕事』をするわけです。
 逆に1割の施行医は誰とやってもうまくいかない。残念ながらそういう人は確かにいます(エッチでいうとちんこがすごいちっちゃいとかのような感じでしょうか。残念ながらカメラを握りたての研修医の多くはこのレベルだったりします)。

 だけど残りの8割は相性とか、諸条件(エッチでいうと、挿入に持ってゆく雰囲気作りとか、会話術とか、部屋のムードだとか)が多分に影響するのではないかと思うのです。

 「誰とやってもうまくいかない」へたくそレベルというのは普通はそう長くは続かない。100回もやれば大方の人間は脱することができる。それ以降の技術のに関しては緩やかな上昇曲線を描き、1000例くらいやれば、挿入技術に関しては定常状態に落ち着くように思う。(おそらく20000例以上やればもう一段階上の技術的な開眼があるように薄々感じているが、今の私にはそれはわからないし、それ以上はすべての人が辿り着くわけではないと思う。)


 んで、そういう風に見切っちゃった私は、内視鏡操作という技術的なことはともかく、患者さんに話しかけたり説明をしながらカメラをするというテクニックを意識的に身につけるようにした。(少なくとも挿入に関しては)。内視鏡をしながらのトークというのは一種催眠術的な作用があり、うまくやれば印象をずいぶん変えることが出来るのである。

 内視鏡医としてはやや邪道であるけれど。


(Mar 2000.初稿)