5月病と木の芽どき:


—ベッドサイドのお話  

 年度が変わると配属が変わったり、新入生・新入社員が来たりしますね。この年度替わりの時期、新しい環境に馴染めなくて、学校や職場に行くのが厭になることを俗に五月病といいます。ま、一種の適応障害として認知されているわけです。

 つい先日、病院の年輩の(師長的立場に近い)看護師さんと、まさにそういう話になった。そういう、五月病のような、ちょっと出勤拒否状態になりかけている新人ナースが今いるので、どうしようかと困っているんだというのだ。

私「そうだねー、五月病だよねー」
看護師「木の芽どきですよねー」

「!?」

 

 同一の症状を、僕は「五月病」と認識し、彼女の方は「木の芽どき」と認識していた、ということになる。

 「木の芽どき」というのはよく使われる言葉であるが、広辞苑には載っていなかった。要するに草花が芽吹くような春の時期のことだ。

 この時期には患者さんの中でも体調を崩したり、変な自覚症状を訴える方がおられる。路上でも猫や犬が発情期になったりしているが、どうも人間にもそういう傾向はあるようで、催淫というか、そこまではいかないが少し理性を狂わされるような、妙に放埒な行動をとってしまう人が中にいる。

 5月病というのは説明するまでもないが、簡単に言えば新入生や新入社員が新しい環境に馴染めずに起こる出社拒否感である。新聞の四コマ漫画などでも毎年この時期になると題材になったりしている。

 で、その五月病であるが、その原因は、「木の芽どき」つまり天候、気候の変化にあるのか、それとも人間関係の変化、つまり年度が変わって職場・学校で人口移動による周囲の変化、それにより求められる人間関係の再構築によるストレスにあるのか、いずれが優勢だろうか。

 外的な原因という意味では両者は共通しているが、天気や気温か、それとも人間関係によるものか。

 

 「木の芽どき」という言葉を文字通り英語にすると"budding time"である。で、「木の芽どき」という言葉に含まれる、ある種の季節的な精神変調に対する語としては"Spring fever"というのがある。

 では、五月病という言葉に対応するような英語があるかというと、探した限りではぴったりしたものを見つけることができなかった。

 多くの英語圏の国では年度替わりは九月だ。だからもしそういう症状が日本と同様にあるならば、それは秋口のはずだ。人間関係のストレスで起こる適応障害として「九月病」もしくは「十月病」という言葉があってもよいのかなと思うのだが、そういう言葉はないようだ。(あっても、日本の「五月病」という概念があって、それに便して付けられているようである。)

 なぜ、こうした疾患に対し、用語を作ってラベリングする必要性が西洋人の彼らに生じなかったのだろうか。なにしろ、単に週明けの仕事がかったるいだけでも"Blue Monday"という言葉を作るような奴らである。こと仕事に行きたくないという表現に関してなら、豊潤な語彙を持っているに違いないのだ。もしそういうのがあれば、必ず何らかの言葉になるに違いない。もっとも、僕が見つけられなかっただけで、本当はあるのかもしれない。

 でも、ひょっとすると、そういう配置換えは、他の国では職場放棄に向かわせるほどのプレッシャーにはならないのかもしれない。日本人の場合、帰属集団(職場・学校・会社)で構築する人間関係が、個人の人間関係の中ではとりわけ大きな比重を占めている。またその人間関係も極めて同調圧力の強い抑圧的なものである。であるから、一旦職場内で固着した人間関係を動かすフリクション・ロスは諸外国のそれとは比較にならないほど大きいのではないだろうか。5月病とは、こうした摩擦によって派生する熱のようなものと言えなくもない。ま、こういう風潮はここ10年〜20年で随分変化したとは思いますが。

 

 おそらく日本の五月病は、そういう二つの要因が重なることにより症状としては顕在化しやすいんじゃないかと思ったりもする。(おまけに、絶妙なタイミングでゴールデンウィークという、ちょっとその集団から離れ元の帰属集団へ回帰する時期なども陥穽として待ちかまえているのだ)

 でも、僕の個人的な考えでは「木の芽どき」と「五月病」は少し違う。「五月病」は気分の変調としてはダウナー系の変化、depressionが主であるように見受けられるが、「木の芽どき」という一語で要約される気分の変調は、maniaというかschizoticというか、どちらかというとアッパーな変化が主体なように感じられるから。このあたりは、門外漢であるからあまり詳しくないのですけれども。

 

 話を戻すが、冒頭の看護師さんと自分では、育った環境も違うのかもしれないとも思った。

 彼女は五〇にさしかかりなむとする年でなおかつ田舎育ちである。その成長過程において自然観が強く印象づけられているのは確かで、「木の芽どき」と言える症例をこれまでの人生で数多くみているのだろう。

 対して私はそれほど自然の中で育っていず、どちらかというと稠密で人工的な環境で育った。そのような気候感に乏しく、いわゆる「五月病」的な症例を多くみて、それが強く印象づけられているのだろう。

(Jun,2006 Aug 改稿)