アスベスト「被爆」について


 きっかけは、こうだ。

 ある日、『極東ブログ』で、アスベストについて書かれていたが、コメント欄にえらく場違いなテンションの反論がありそのコメントに違和感を感じたのである。

 元URLはこちらである。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/10/post_846e.html

一応曲がりなりにも医学教育を受けた自分であるが、低線量被爆などという話はどこにも出てきたことはなかったなぁと思う。

 

 その発癌に至るメカニズムはどうであれ、石綿肺が肺ガンもしくは悪性中皮腫の原因になるということは比較的昔から明らな事実であるが、なぜか今年になって報道が盛んだ。(注:2005年の話です)。

この突如始まった2005年のアスベスト報道の流れではアスベストに『被爆』という言葉がよく使われる。

 ……この被爆という言葉が、僕には今ひとつわからないのだ。

 百歩譲ったとしても『被曝』だろうと思って、いろいろ調べてみた。

 Wikipediaで被爆という言葉を引いてみると……
被爆
1:被爆は、爆撃による被害を被ること。
2:被爆は、原子爆弾や水素爆弾によって放射線の被害を被ること。

被曝:
被曝(ひばく)とは、人体が放射線にさらされる事である。

被曝と被爆の違い:

 被曝は「曝」が常用漢字に入っていないことから、被ばくと書かれることが多い。この場合「被爆」と区別が付かないが、多くの場合「被ばく」と表記した場合は「被曝」を意味する。

 被爆という単語には、主として爆撃による被災を示す意味と、核兵器による罹災をあらわす意味がある。後者の意味が強調される背景には被曝との関連が指摘される。被曝と被爆は同音で字体も似ていて意味にも近いものがあるため、しばしば誤用される。

 …うん、やっぱり被爆っていうのは明らかに意味が異なるよね。しかし、僕は『被曝』ならOKじゃないかと思っていたのだが、意外なことにこれすらも誤用であるらしい。

 

 教科書をひいてみると、石綿に対しては被爆という言葉は一度も使われていない。現在報道で使われる『被爆』という語に対応している言葉は『曝露』である。英語で書けばexposureとなる。厚生労働省が行政用語として使うのも『曝露』であるようだ。(常用漢字外なので、『ばく露』という据わりの悪い書かれ方をするのをよく見かけるが、これには丸谷才一的な怒りを禁じ得ない)

 曝露という言葉はそれほど手垢のついていないニュートラルな印象があるが、『被爆』という言葉はそれ自体に様々な(多くはネガティブな)イメージがつきまとっている。

 これは僕の完全な想像なのだが、今回の2005年のアスベスト報道の初期段階に関わった誰かが、意図的に『被爆』というセンセーショナルな言葉を使い始めたのではないか。意図的にそうした方向に「誤謬」をおかすように導いた人がいるのではないか?

 アスベストに対し『被爆』という言葉が出現したのはいつかというのは掘り起こすに足るべき興味深い問題ではあると思う。

 

 ところで本題なのだが、アスベストの発癌機序にはこの投稿子の言うような『放射線』の『内部被ばく』は果たして関与しているのだろうか。

 実は、アスベストによる発癌のメカニズムは教科書でもあまり明確には書かれていない。ま、もっとぶっちゃけたことを言ってしまうと、世の中のありとあらゆる発癌は完全には解明されていないのであるから、況わんやアスベスト発癌に於いておやである。だからこうした理論の間隙に『内部被ばく』説があっても別に問題はないかもしれない。

 だがそれはあくまでワンオブゼムとしてなら許されるのであって『放射線による内部被ばく』が発癌機序の統一理論なのだ!と提唱するのであれば、それはちょっとまてよという気がする。

 だいたい発癌←DNA損傷←放射線障害と、因果律を逆に辿っていけばよいというものではない。確かに一つ一つの矢印は正しい。だが発癌に至る矢印は無数にあるし、今現在も新たな矢印が発見され続けている。『Nature』や『Science』などの一流の科学誌は、極言するとこのような新しい矢印の発見を報告するためにあるようなものだ。エピジェネティクスはゲノムDNA損傷によらない発癌機序への地平を開いたし、放射線に対する(紫外線だって厳密に言えば放射線だ)生得の修復機構だってある。新しい矢印が発見されたからって今までの矢印が否定されるわけでもないのだ。

 この分野は未だに種種雑多な理論が次々と提唱されており、収拾を見せる気配は一向にみられない。いわば放散の時期といえるかもしれない。将来、収斂の時期に入り、一見ばらばらに見えるこれらの機序を普遍的に説明する統一理論がいずれは発見されるのかもしれないが。

 

 分子生物学のレベルまで話を広げると混沌とするのでこれでやめるが、すべての発癌に放射線が関与しているというドグマ(ドグマですらないが)はナンセンスだ。

 胃ガンの発生にはヘリコバクター・ピロリが深く関わっているし、肝細胞癌にはB型/C型肝炎ウイルスが関与している。ここで発癌の原因になっているのは、『炎症』である。炎症が生じているとfibroblastが集まってきたり各種のサイトカインを出したり、免疫系が賦活されたり、損傷を受けた組織が再生したりするが、その炎症〜再生の過程そのものが癌化と深く関与しているらしいのである。

 これを敷衍して石綿肺を考えれば、石綿粉塵を吸引すると生じるbroncho-alveolitisは、明らかに炎症の一形態であり、それ自体で発癌を説明可能であるように思う。なにも『微小放射線障害』などという、あるやらないやらわからんフロギストン的物質を持ち出さなくてもいいのではないか、と私などは思うのでありますが、そんな言葉を届かせる力は僕にはないので、こんな世界の片隅でぼそぼそとつぶやいている。

 発癌に至る道はかなりの部分解明されつつあるが、それではその無数の経路を集めて、発癌のすべてが解っているとは言えない。それはまるで有理数が無限大に存在していても、無理数はその無限大倍多いのと似ている。

(Oct, 2005 初稿)