ハンセン温泉〜その2

—その後と細かい疑問



 熊本県南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」が国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(同県合志町)入所者の宿泊を拒否した事件で、同ホテルを経営するアイスター(東京)は十六日、同ホテルを廃業する方針を明らかにした。
 江口忠雄社長が同日、同ホテルで従業員に説明した。アイスター本社によると、宿泊予約が入っているため、廃業時期は未定という。
 同社によると、廃業する理由は「(入所者の)宿泊を断ったことに対する最大の謝罪」と説明している。
 「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」は昨年11月、同県が申し入れたハンセン病療養所入所者の宿泊予約を「他の宿泊客に迷惑がかかる」などとして拒否。入所者や県の猛抗議を受けたホテル側は入所者らに謝罪したが、一方で「入所者であることを伝えなかった県の責任」などとする主張を繰り返していた。同県は「正当な理由なく宿泊を拒否した」として旅館業法違反で同ホテルを営業停止処分とする方針を決めており、十六日夕にも正式発表する予定だった。アイスター側の突然の「廃業宣言」は、こうしたタイミングを見計らったものともとれ、恵楓園入所者には新たな不信感もわいている。

 ハンセン氏病患者宿泊患者問題の黒川温泉が廃業を決めたそうな。
 ……廃業、するのか。
 これが口を開けて馬鹿面をしている僕の正直な感想。
 

 自己の自発的消滅。会社というものを擬人化して考えてみると、『廃業』という行為は一種の死、しかも自殺に擬せられるのではないかと思う。そして、われわれ日本人は、死んだ人のことは悪くいわないのである。

 どんなに悪いことをした人でもその人が謝罪をしたのちに自殺をした場合、それで「罪をつぐなった」というか「けじめをつけた」とみなされてそれ以上罪を追求することはしない。もちろんこれは日本に限らないとは思うが、死に様一つで生前の罪がずいぶん軽減されるのが日本の特徴である。切腹という伝統的な刑罰(厳密には刑罰ですらないわけだが)からもそれは窺えるし、現代でも『火曜サスペンス』で罪を自白した後、断崖絶壁に身を躍らせる犯人はひきもきらない。

 対して、たとえば中国の悪大臣は死後も像に唾を吐きかけられたり、九族まで誅殺されたり、ムッソリーニの死体も引きずり回されて辱めを受けたり、海外では死で罪をチャラにすることはできないのである。

 話を戻すが、黒川温泉側の『廃業』という対応は、会社というものを漠然と一個の人格として考えている我々の批判を一瞬思考停止させる力がある。おそらく会社側もそういうことを熟知してこうした対応に出たのであろう。

 ただ、会社というのは生命ではない。廃業を自殺などと考え、我々が引け目を感じる必要はないのだ。黒川温泉単体ではなく、アイスターグループというものを一個の人格として考えると、この温泉部門の廃業というのは『トカゲのしっぽ切り』というものに近いと思う。

 僕はこのニュースを聞いて、一瞬思考停止し、その後なんだか釈然としないむらむらとした怒りを感じた。我々が廃業という方法になんだかざわざわとした気持ちになるのは、結局自己の消滅という方法で今後の責任の所在をすべて不問に処そうというやり方がアンフェアなものに感じられるからだろうか。


 それにしても今回の一連のアイスターグループの対応は史上まれにみる愚かな広報活動ではないだろうか。全く失望させられた。宿泊拒否をした時点では(やはり許されないことにしろ)ミステイクの範囲内といえたと思う。ワンナウト。だが、その後の対応はミスではなく、致命的な欠陥のなせるわざだろう。エラー、エラー、ゲームセット。つまりは偶然ではなく必然。

 患者側を深く傷つけたのも、むしろその後の対応ではないかと思うのである。限定的な立場の責任者が非公開の状況で拒否をするよりも、公開された状況で、しかも全社を挙げて、患者を拒絶する。これはつらい。

 やはり廃業もやむなしか。

 その(1)で僕はまったく罪を問われない僕たち消費者こそが実は当事者であるという主張をし、旅館側に対してはある種擁護とも取れることを書いたが、僕たちが当事者であることはともかく、やはりこの温泉側の罪はいや増して深い。
 

 ところで、この一連の事件の中で、他にいろいろと疑問がある。

 一つには県側である。

 第一段階では実際に患者団体と温泉側が直接やり合ったのではなく、引率(?)の県職員と温泉が交渉したと私は理解しているが、なぜこのアイスター経営の黒川温泉に彼らはこだわったのだろうか。断られてもなお強硬にこのホテルに宿泊しようとした理由がわからない。この辺りでは特別このホテルが有名でダントツなんだろうか。患者サイドから強い要望があったのだろうか。

 県職員、君ら自分らが使うような『共済の宿』とかにはあたってみなかったのかい?一つの温泉ホテルに固執したのはマネジメントを行う立場としてはあまり褒められた態度ではないとも思うのだが。そもそも温泉=湯治が目的だったのだろうか、それとも『黒川温泉ホテル』でおいしいものを食べてどんちゃん騒ぎをするのが目的だったのだろうか。

 この黒川温泉って高級ホテルなんでしょ?下見にも当然行ったわけでしょ?いろいろな選択肢を吟味するべきではないかとも思うし、そもそもこの予算はどこから出たものなの?目的はなんなの?誰のお金なの?なんで県の職員が間に入っているの?

 なんだかきな臭い感じがする。これらのファクターをひっくるめて考えるとこの事件の別の側面が浮かび上がるのかもしれない、と僕は疑問に思っているのである。

 一人の悪人が悪人であることは確かで、彼はよってたかって糾弾されているのだが、では糾弾している残りの全員が善とは限らない。悪人を一緒にいじめることによって自分の咎を免れている奴はいやしないか。
 

 それからもう一つ。ハンセン氏病患者サイドに対する我々非ハンセン氏病人の態度である。

 果たして、ハンセン氏病という属性を取り払って、彼らを一個の人間として我々は見れているのか。

 昔から文学的なモチーフとしての『癩病』というのがある。『聖と俗』。光明子が癩患者の膿を口で吸ったところ菩薩に変化したとか、聖書のヨナだとか、そんなもの。

 今回の報道でも患者サイドにはあまりスポットが当てられず、もっぱら温泉側の対応のみがさわがれた感があるが、現代の我々もそのような文学的なステレオタイプで彼らの事を見ていないだろうか。これはいわゆる障害者に対する視点と同じである。

 沖縄の女子大生がハンセン氏病の患者と一緒にお風呂に入ったという微笑ましいエピソードが今回の事件から派生して生じたが、なぜこれを『いい話』と考えるか、というのを我々は自分の頭でよく考えてみなければいけない。このエピソードは、とにかくきわめて記号的に解釈しやすいのである。ステレオタイプ、といってもいい。

 こうした形での「女子大生入浴話」と今回の「宿泊拒否」というエピソードは、もちろん出てきた結果は正反対ではあるが、そういうエピソードが生まれ出る素地は、まったく同じところからなのである。そういう意味ではこの二つのエピソードは、紙一重とも言える。

  (でも女子学生の行動力には脱帽する。我々頭脳肥大矮小男性に比べてはるかに偉い。でも女子学生というので別の意味も付与されちゃってるよなぁ。)



 それから、我々消費者である。
 マスコミは、『王様』である我々消費者の悪口は絶対に書かない。彼らは我々一人一人の宮廷に侍る『道化』に過ぎないのである。もしこの温泉旅館だけが悪いのであれば、温泉旅館の廃業話は、単に病根がきれいに排除できたというだけの話であり、『よいニュース』のはずである。だが、我々がそういう風な感想を抱けないのは、きっと真相はそうではないからである。

 我々の間には薄々感づいてはいるが、決して表には出さない欺瞞がある。


(Feb 2004 初稿)