ハンセン温泉

—我々こそが本当は原罪のもとなのではないか?



 阿蘇郡南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」が、県内のハンセン病元患者らの宿泊を拒否していたことが十八日、分かった。潮谷義子知事が同日の記者会見でホテル名を公表。同ホテルを経営するアイスター(東京都港区、西山栄一社長)に対し、十四日付で「人権侵害」として書面で抗議したことを明らかにした。
 県健康づくり推進課によると、宿泊拒否を受けたのは、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(菊池郡合志町)に入所する元患者十八人と付き添いの四人。県が毎年、元患者らの社会復帰支援の一環として実施している「ふるさと訪問事業」に応募した。
 県の担当者は九月十七日、同ホテルに十一月十八日の一泊を予約。その後、人数などのやり取りを通じて同園入所者であることが分かると、ホテルは十一月十三日、県に対し電話で「他の宿泊客に迷惑がかかることが一番心配」として宿泊の遠慮を求めてきたという。
 これに対し県は、感染の恐れがないことやハンセン病に対する偏見の解消を説明。十四日には担当者が直接、東京のアイスター本社を訪問したが、理解を得られなかった。このため、潮谷知事名の抗議文を渡すとともに、同社トップの判断を再度要求。同社は十五日、電話で県に対し「会社の判断としてお断りする。何と思われても構わない」という内容の回答をしたという。
 まぁ、大した人権侵害だし、これまでそれこそひどく迫害されてきたハンセン氏病の患者にとって、また新たな苦しみを与えてしまったわけで、そういう経緯を考えれば、旅館側は糾弾されて仕方がないだろうとも思う。

 しかしこの旅館に関してもこの段階では斟酌すべき事情もわかるような気もするし、そもそも我々が憤ってホテルを糾弾するのは間違ってはいないか。(※)

 
 自分たちが温泉旅館にいく場合を考えてみよう。

 温泉に行くというのは非日常的な行為で、そうした非日常こそを我々は楽しむのである。(『湯治』という言葉通りに体を治しに行くために温泉に行く客は、今時そうはいない。)

 そういう場所では、我々はあたかも王侯貴族の様に扱われたがってはいないだろうか。

 『非日常空間』では、私たちの要求は『非日常的』なほどにシビアである。ちょっとでも不満な点があれば、「お金はらってんだから」という錦の御旗のもとにクレーム(しばしば罵詈雑言に発展することすらある)をつけるか、もしくはもうちょっと良識があれば、声高に責め立てはしないまでももう二度とその宿に行こうとはしないだろう。

 温泉という場においては、かように我々の自意識は肥大している。我々はまるで世界の王様のように気まぐれかつ尊大で、召し使いの役を強要される温泉側はいつだって細々としたサービスに汲々としている。
 
 たとえば、旅館のタオルにうっすらと染みがあったとしよう。

 汚れといっても、クリーニングされてほとんど目立たなくなっているものの、うっすらと痕跡が残っている程度のごくごく薄いしみだ。もちろん、使う分には問題にならない。自宅のタオルであれば、ま、捨てるほどではないような汚れだ。

 でも、「せっかく温泉だし、替えてもらった方がいいんじゃない?」ということになるわな。

 そこで、もし温泉側が「いやお客様、それは衛生学的にもほとんどきれいだし病原菌などの心配もありません。全国温泉協議会での染みなどの基準もクリアーしていますから。安心してお使いくださいね」と言ったら、どうするか。

 たとえ相手が正しくても、いや正しいからこそ、我々の心にはさざ波が立つだろう。場合によっては逆上するだろうし、しなくてもなんだかイヤな気持ちを感じるだろう。結果的に二度とその旅館には行かないだろう。

 我々『王様』は議論の余地すら認めず、旅館の(たとえ正当な反論であっても)口答えは一切認めない。

 このように肥大化した自意識を持つ(言い換えると普通では考えられない精神状態の)客を相手にしていると、旅館側のものの見方や判断はやはりそれに影響されて、ゆがんだものになってしまうのではないか、と私は思うのだ。
 

 また、「医学的に正し」ければ我々はそれに常に従うのか、という問題もある。

 今回のハンセン氏病の問題では、医学的には確かに感染の危険はほとんどない。こと、医学的な話に限れば宿泊を拒否されるべきではないのは明らかだ。

 しかし、我々は絶対に忌避感を感じないのだろうか。「医学的に根拠がない」というのは理屈としては正しいのかもしれないが、実際に感情的な忌避感を転向させるのは難しいのではないか。我々の清潔観念と実際の清潔さというのは大きく異なっているということを我々はよく知っておく必要がある。

 たとえば、むちゃくちゃ綺麗に磨き上げ、完全に消毒した「医学的には何も問題のない」便器の水を、我々は飲むことが出来るか?(たとえが悪くて申し訳ないが)

 旅館の責任者はいみじくもこういった。
「感染するしないの問題は我々は実際はわからないが、社会一般に広く受け入れる認識や体制が整っていない状況で、サービス業を営む当ホテルとして受け入れることは出来ない。」

 そう、これは衛生学的な問題ではなく、「ケガレ」的な感覚を問題にしているのだ。そしてそういう気持ちが消費者たる我々の方にあるのは残念ながら間違いない。もちろんすべての消費者ではない。むしろ少数派かもしれない。だけど、たとえ少数派であっても、サービスの提供者である旅館側は『王様』たる消費者の要望を無視することはできない。
 だから旅館側はああいった対応をとるに至ったのではないかと思うのだ。
 

 店としては苦渋の選択というか、究極の選択であったろうとは思うのである。(※)

 店側の立場をわかってやる客などごく少数である。ハンセン氏病の患者と一緒に風呂に入っていた客がたとえわずかでも不快を感じるようなことがあれば、それは店の不利益につながる。客の中には世間知らずの年寄り、金だけ持っている無自覚な人間だっている。自分に関わらない限り博愛主義者であるが、本音では随分偏狭な考えの持ち主など、ゴマンといるのだ。そして、温泉ではだれもが王様になりたがるし、客が間違っていようといまいと、客が言ったことが真実である。

 そうではないと言われる方もおられるかもしれない。

 でも、それはそうではないと思いたいだけだ。

 なぜ、SARS客が泊まった淡路島のホテルは、SARSの感染被害がなくなってからも長らく閑古鳥が鳴いていたのか。医学的には感染の危険が去ったホテルに、なぜ誰も来なかったのだろうか。このホテルには、明らかに何の非もないわけだが、閑古鳥になってもしつぶれでもしたら誰が責任をとってくれるというのだろうか。

 なぜ、公衆便所では和式便器が洋式便器よりもが未だに優勢なのか。公衆便所での便座除菌クリーナーなるクレージーなものが一般に使われているのはなぜか。

 責められるべきは本当に旅館側だけなのか。

 絶対の権力を持ち、決して責められることのない、『王様』である消費者は、本当に何の罪もないのか。

 そういう風に考えると、我々は第三者ではなく当事者の位置に立つことになる。すなわち、間接的な加害者としての消費者。それが我々ではないか?

 消費者としての我々の普段の行動は、こういったハンセン氏病患者を泊めさせない様な旅館を産み出すことを助長してはいないだろうか。


※:しかしそうはいっても、やはり旅館側は気骨をみせてハンセン氏病側の立場にたつべきだったとは思う。

 なぜなら、ハンセン氏病の患者さん達こそは数十年も日本国から抹殺同然の扱いをうけ、隔離されていたという経緯があり、長らく味方のいない状況であったのだ。

 それに、今回争点になったのもやはり根拠のない忌避、これは「ケガレ」的考え方ではないかと思うのだが、ハンセン氏病をそもそも隔離する動機に至ったのが「ケガレ」的観念であったことを考えると、昔受けた仕打ちが何十年経っても根本的には変わらなかったわけで、可哀相という他はない。

 そういう点でも、たとえ物わかりの悪い客は無視しても、ハンセン氏病の患者さんの希望は叶えてあげるべきではなかったんじゃないかと、その点はやはり残念だと思う。

 ただ、私立の企業なわけで、絶対に応じなければならないという義務はないように思う。宿を世話をした県側もやはり配慮が足りなかったと言わざるを得ない。税金を無駄にして立てた公共の宿とか、あるんだから。
(※)ご存じの通り、その後この温泉側の対応にはいろいろ問題があり、結局温泉側は廃業ということになるのであるが、この文章を書いた時点ではそういう事実はまだ明るみに出ていなかったことは申し添えておく。ただ、この文の主眼は第3者ぶっている我々こそが実は病根であるということを書きたかったので、少々の改編を加えてそのまま載せている。

(Dec 2003 初稿)