医局が抱える問題

—その1:制度としての「医局」の本質とは



2003年暮れ、大多数の大学にて大学院生が『名義貸し』をしているというニュースが報道された。この文はその時に、世論に『楯突いて』医局を擁護したものである。


 名義貸し問題を嚆矢とし、医局制度(正確に言うと、大学病院の医局を中心とした医師派遣システム)にメスが入るような報道が最近多い。

 医局制度。確かに特殊なシステムだと思う。このような奇妙な形態は他にはちょっと見あたらない。教育委員会と公立学校の教師の人事が、やや形態としては似ているかもしれない。

 医局制度はどちらかといえば欧米化という流れに逆らった因襲的なものである。そして報道されたものをみる限り、「旧弊である」ということが医局制度の最も大きな罪であるかのような印象を受ける。グローバリゼーションを尊ぶという風潮からは「ジャパンオリジナル」な制度が評価されないのは当然なのかもしれないが、『医局制度は存在悪である』という大前提が厳然として存在しているかのようだ。

 しかし実際のところ医局制度というものは本当に悪なのだろうか。そこにいくらかでも存在を肯定されるような余地はあるのだろうか。
 

 私の立場、つまり派遣される医師の立場で医局というものを眺めてみようと思う。

 どのような歴史的経緯によって成立したかは我々のあずかり知るところではないが、これだけははっきりいえる。医師達が望んだから医局制度は存在している。「白い巨塔」にあるような圧倒的な権力を握る教授とスタッフ、つまり『医師を動かす人達』が恩恵を受けるために医局が存在しているわけではないのだ。

 個々の事例においてもちろん不満がないわけではないが、総合的に判断すれば、派遣される側の我々は潜在的に医局制度の存続を望んでいるように思える。
 

 医局制度のメリットは、雇用、就職における我々のコストを最小に減らしてくれる。もし医局制度がなければ我々は個人で個々の病院と雇用契約を結ばなければならない。自分のアピール、賃金条件などの交渉などに費やされる金銭的/時間的コストは莫迦にならず、そう言う意味では「お任せ」の医局人事の方が結局ラクなのである。ラクであるということはその分本業に時間を割くことが出来、結局の所医療の充実につながるのである。

 昼休みに就職情報誌を読んだり、病院の求人情報をインターネットでチェックしたり、面接に行くために休診することで年間に何時間の損失が生まれるのであろうか。そういう無駄を省くために医局は適材適所に医師を派遣しているのである。

 というのは、建前の解答なんである。実は。


医局制度の本質


 医局による医師派遣の本質は『被派遣者である医師の資質を本質的に同等のものとして扱うこと』、これに尽きる。

 これが、メリットでもあり、実はデメリットにもなっている。

 基本的に現在の医局制度とは医師は等価交換可能である存在であり、またそうであるべきという観点で成立しているように思える。この観点で初めて一見特異に見える医局制度の性質を理解することができる。

 勿論例外はある。難しいポストにはエース級の人材を派遣するのは当たり前だし、医局に残って研究を続ける、またスタッフになる先生方には越えることのない一線が引かれている。しかしそれ以外の多くの医師(特に若年層の)の資質は同等と見なされているし、こうした等価性が通用する卒後10年目までの医師についてこそ医局のシステムは最も有効に働くと考えてよい。

その1 勤務経歴

 たとえば同年代のA先生とB先生がいるとする。A先生は都会の高度先進病院へ、B先生はやや地域の中核病院へ就職したとする。3年経ってA先生は高度先進病院で3年間研鑽を積んだというプレミアムがつく。B先生には何もつかない。しかし、その次の勤務先へ行く際にはこの不平等はできるだけ考慮され、A先生とB先生の希望では、B先生の希望の方が優先されることが多い。

 これは、勤務先によって生まれた「不平等」を是正しようとする力が働くからであり、それは、医局というものが均一な医師の実力を望んでいるからに他ならない。

 この考え方の対極にあるのは「市場化」である。付加価値の高いものにはより高い値段をつけるという市場主義は明らかに二極分化を生む。音楽業界のこの20年くらいの変遷をみてみると明らかだろう。メガヒットを飛ばす一握りがシェアを寡占し、そのほかのマイナー音楽はむしろそれ以前より低迷している。なぜなら、市場のメカニズムではネガティブフィードバックがかからないからだ。だから医師の雇用を市場にゆだねた場合にも、医師の経歴には同様なポジティブフィードバックがかかってしまうのである。

 もし医局人事以外のオープンな雇用が行われるのならば、結局は経歴で判断するしかない。最も信頼に足る医師の実力の評価は同僚の医師および一緒に勤務しているパラメディカルによるものである。外側からは医師の本当の資質というのは見えにくい。

 この例では、もし市場主義ではA先生とB先生では次の就職先を決める際に(もし資質の差が同じであれば)それは明らかに選択肢の差となるだろう。この差は、もしA先生とB先生の潜在能力が同じであれば絶対に埋まらず、今後も開いていくと思われる。B先生の資質が遙かに凌駕している場合は挽回が可能かもしれないが。

 もしそういう制度ならば、初めが肝心である。一歩も妥協してはいけない。能力のある人間はなんとしてでも都会にある箔のつく病院で研修を行うだろう。また、キャリアアップのためには一度でも就職先に妥協をしてはいけない。田舎に行くなんてもってのほかだ。

 医局人事であれば、その後挽回がきく。田舎で働いたというので医局に貸しを作って次はちょっといい所に行かせてもらうということも時には出来る。

 残念ながら田舎で働きたいと思う医者は少ない。今でさえこれが現実である。もし市場化がすすみ、一度田舎に赴任したら二度と都会に帰り咲けないのであれば、誰が田舎を希望するだろうか。結果的には地方の中規模病院にはカスばっかりが集まることになるのだろうか。

その2 給与

 医師が市場に委ねられた場合、二極化がすすむであろうという予言めいたことを前述したが、これは給与に関しても同様である。市場主義の総本山、アメリカでは、能力の高い医師は当然高い給与をもらっている。だが、実は今の日本の制度はそうではない。医局によって差はあるだろうが、概ね医局人事というのは「平等」で、それは能力主義ではない。

 医局制度によって市場化を免れていることによって医師が最も恩恵を受けているのは、給与に関する点ではないかと思う。

 医師が等価交換可能かつ均質であるべきならば、赴任先の違いが甚だしいと不満が出る。で、この差を回避するために、給与でバランスをとるわけである。面白い仕事をさせてくれるような赴任先では給料は少な目であり、あまり高度な医療が行えず、行っても医師のメリットにならないような施設では逆に給料は高めであったりする。みんなが行きたがる都市部では給料は安いし、地方では給料は相対的に高めとなる。医局の総本山、大学などはその最も極端なところで、無給どころか大学院生などで授業料を払わなければ居られなかったりする。

 というわけで興味深いことに、同期の中で最も給料が安いのが(最も優秀なはずの)大学に残っているスタッフ(助手講師助教授など)であったりするのだ。  
大学の仕事が楽しいかというのはまた別問題ではあるが、少なくとも集まってくる症例のレベル、診療に関して医療側がイニシアティブをとりやすい点など、大学でしかできない医療というものはある。

 初期研修から数年間はこういう原則がかなり厳密に適用されることが多い。この原則が守られない場合、同期の間での不公平感が無視できないためだ。それぞれ与えられた職場で力を発揮することは当然求められるが、少なくとも機会が平等という暗黙の了解が無ければ医局人事は円滑に運営されないだろう。

 医師の市場化、言い換えると能力主義がおこると、当然アメリカ式に高い能力の医師に高額の給与が支払われることが予想される。そうなればトータルでの医療費の高騰は免れないし、全体の医師の資質は低下する可能性は大いにありうる。

 現在の日本の医療レベルは費用対効果で世界一であることをお忘れなきよう。


医局制度の成立—「正当防衛」の弁護

 念のために申し添えておきますが、私は現在の医局制度に対して肯定的なわけではない。

 医局が非難されるのは主にその非透明性と閉鎖性のためであろう。

 閉鎖性というのは、基本的に医局人事制度は市場化を防ぐために存在しているようなものなので、ある種当然ともいえる。どうあがいても医局制度はグローバリゼーションに逆行しているからだ。グローバリゼーションの本質が逆に言えば市場化であるわけで、こえはトートロジーと言えなくもないが。医師の市場化から守るために医者の相互安全保障として医局制度は機能しているわけで、根本的に我々は抵抗勢力なのである。

 だが、我々はすべての分野において、「欧米にはない日本だけの制度」は軽んじるように思考訓練されてしまってはいないか。医療・福祉部門においては、市場化は必ずしもいい結果を生まないことは米国式と欧国式の医療でよく証明されているはずなのだが。

 また、非透明性に関してであるが、我々が法律を「柔軟に」適用しているのは事実である。法律を遵守するという観点からは我々は明らかに逸脱しかかっているからだ。そういう点では我々は胸を張れない。法治国家である限り、法律を遵守しない人間はいかなる理由からも肯定されるべきではないからだ。

 しかし医局が作り上げた面妖な(少なくとも外部からはそう見える)人事制度および給与形態は、それ以上に面妖な法体系と実情との乖離に対し現場の人間がとった解決策であるということはご理解頂きたい。

 もともとが、ウィンドウズOSと同じくらい欠陥だらけの法体系である。現場に即していないし、更新は遅い。際限なくパッチをあてて綻びをなおしていかなければ使い物にならないのだ。

 バグだらけのウィンドウズにパッチをあてる。我々が行っている行為はメーカーに断りなしにパッチをあてるようなものだ。

 はたして悪いのは勝手にパッチをあてる行為か、それともバグだらけのOSをリリースするうえにいつまでたってもパッチをあててくれない側か。パッチをあてることを断罪する前に、欠陥だらけのOSを、それなりに使える状態で運用していることに対して評価をしてほしいと思う。そして医療制度の欠陥自体を断罪することも。

 とはいえ、法改正の運動すらも起こしていない我々も悪いのだ。医局に改善すべき点があるとすればそれは密室性ではないかと思う。一般の方の知らないところで法を柔軟に適応しておいて、明るみに出ると「だって政治が悪いんだもん」でが、確かに申し開きはできないですね。

 あまり政治に関わりを持ちすぎる医師は煙たがられてきたという経緯があるのだが(これは一世代前に流行したいわゆる左翼的な政治活動の反動からではないかと思う)、この世紀は医師も世間に向けて政治活動をしていくべきではないだろうか。



(2003.Sep 初稿)